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福岡高等裁判所 昭和61年(行コ)10号 判決 1997年3月11日

控訴人 鹿児島県知事

代理人 高野伸 久留島群一 小笠原正喜 喜多剛久 榮春彦 田川直之 大須賀滋 山口敏史 塩屋朝治 ほか一五名

被控訴人 御手洗鯛右

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

原判決中被控訴人に関する部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

第二本件訴訟

本件は、鹿児島県知事により公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和四四年法律第九〇号。以下「救済法」という。)三条一項に基づく水俣病認定申請を棄却され、さらに、環境庁長官に対する行政不服審査請求も棄却された被控訴人が、右認定申請棄却処分の取消しを求めている事案である。

ところで、控訴人が救済法三条一項に基づく水俣病認定処分をするにあたっては、鹿児島県公害被害者認定審査会の答申に基づいてすることになるところ、後に説示するとおり、同審査会における水俣病罹患の有無の判断は、水俣病に関する医学上の知見に基づき水俣病像を把握した上、認定申請者の個々の症状を把握、確定し、疫学的調査の結果を併せて、これらを総合し、救済法の予定する水俣病と認定し得るか否かを判断するのであるから、その判断は高度の専門技術的判断として出されるといえる。そうすると、控訴人としては、原則として審査会の判断を尊重することになるから、本件行政処分の審査としては、控訴人が依拠した同審査会の判断に不合理な点がなかったか否かという観点からなすべきである。以下、この観点から検討する。

第三被控訴人の主張

一  救済法は、公害によって被った農林漁業被害、精神的損害、健康被害等の各種被害中、取敢えず差し迫って救済を要する健康被害を被った被害者を迅速かつ確実に広汎な救済を図ることを目的としていることは、救済法制定の経緯、救済法の趣旨、目的に照らして明らかである。

しかるに、控訴人は、救済法施行前後を通じ一貫して健康被害の救済を第一義とせず、施行前においては長年にわたって水質汚濁を続けた企業であるチッソと癒着してチッソの民事責任に対する影響の有無のみを第一義とし、施行後においては補償との関連を第一義として、被害の実態調査及び住民検診等を殊更怠り、健康被害を訴えて認定申請をする多数被害者に対し慎重審査に藉口して適切な対応策を講ずることもせず、また、水俣病の病像についてはメチル水銀中毒症の一型態であるハンターラッセル症候群に執着して狭隘な病像論を樹立し、多種多様な症状を訴える水俣病患者に対し右病像を尺度として大多数を水俣病にあらずとして申請を棄却し、或いは保留扱いにして放置し、救済法の趣旨、目的に違反して健康被害を被った被害者の迅速かつ確実に広汎な救済を図るための適切な措置をまったく講じることなく今日に至っている。

控訴人の救済法違反の右行政態度は、川本輝夫ら九名の行政不服審査請求に対する環境庁長官の昭和四六年八月七日付裁決及び同日付「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」と題する環境庁事務次官通知においても救済法の趣旨、目的に沿わないものと指摘され、更に、浜本亨、柳田タマ子の行政不服審査請求に対する環境庁長官の昭和五〇年七月二四日付裁決によっても指摘されたが、一向に改まらず、その後、認定申請者八木シズ子ら六名の熊本地方裁判所昭和四九年ヨ第三一号水俣病被害者補償金内払請求仮処分申請事件に対する昭和四九年六月二七日付の仮処分決定が、右八木シズ子らに対する一審相被告熊本県知事の認定処分に先行して発せられた事実、認定申請棄却処分者一三名を含む原告一四名中一二名を水俣病と認定した同裁判所昭和四八年ワ第一五二号第二次水俣病損害賠償請求事件に対する昭和五四年三月二八日の判決によっても、右狭隘な水俣病病像論による認定申請棄却処分が批判され、更に、これに続く昭和四九年一二月に四〇六名の認定申請者が同知事に対して提起した水俣病認定不作為の違法確認訴訟、昭和五三年一二月に認定申請者らが同知事に対して提起した認定手続に関する処分の著しい遅滞による精神的損害賠償請求訴訟等において、同知事が次々と敗訴し、控訴人と同一の歩調を取る同知事の執着した水俣病病像論に依拠して多数の水俣病患者の迅速かつ確実に広汎な救済を否定する救済法違反の事実を厳しく批判された歴史的経過に照らしても明白である。

二  水俣病について

水俣病は、チッソ水俣工場が長年にわたりカーバイト、アセトアルデヒド酢酸等の製造工程においてセレン、マンガン、タリウム等を含む工場廃水のほか猛毒なメチル水銀等の水銀化合物を含む工場廃水を長期かつ多量に不知火海に排出し、有毒な右重金属類を摂取した魚介類を経口摂取した不知火海沿岸住民の体内に右重金属類が蓄積され、右住民が右重金属類によって罹患する健康被害のすべてをいうのであって、メチル水銀によって発症する中枢性神経系疾患は、右健康被害の一部に過ぎない。

有機水銀等重金属が、海洋・底質を広範に汚染し、プランクトンから魚介類への食物連鎖を経て生体に濃縮した有機水銀等を、人が経口摂取するという曝露のメカニズムも、その規模も、公害及び医学史上他に類例をみないものである。したがって、チッソ水俣工場が、昭和七年の創業以来、なんらの規制を受けることもなく、水俣湾など不知火海に、昼夜を分かたず、垂れ流してきた有機水銀その他の産業廃棄物が、不知火海域の住民に与えた健康障害のすべてを、本来は、水俣病と定義すべきである。

ところで、一般に中毒症というものが全身に対する侵襲であることは、中毒学の常識であり、事実、経口摂取された有機水銀(メチル水銀)が、全身に高濃度に蓄積されることが確認されており、しかもその有機水銀の曝露の時間の長短や摂取量の多寡によって、生体内における有機水銀の蓄積の部位を異にすることが、白木博次のサルの実験によって確認されている。そして、白川健一、原田正純らも、全身病としての有機水銀中毒に対し「慢性水俣病」という概念によって症例報告をしている。したがって、水俣病は「中枢性神経系疾患」に限局されるものではなく、白木博次らの提唱する「全身病」とみるべきであって、肝臓、腎臓等の臓器系の障害、動脈硬化や脳血管障害等の循環器系の障害等も考慮されなければならない。現在、患者最多発地帯では、住民の多くが肝臓の変調を訴えており、又、目眩、だるさ、頭痛、耳鳴り等の自覚症状の訴えも多く、これらの症状は、水俣病を全身病としてとらえるべき必要性を示唆している。

更に、中毒症は、一般に多様であり、医学的解明が十分とはいえない段階にある水俣病を特定のパターンに限局すべきではない。長期曝露による中毒は、経時的にみると急性、亜急性、慢性とそれぞれ独特の症例の展開をみせるのが通例である。したがって、水俣病は、全身性慢性疾患を含めて多様な病像を想定し、これに基づいて肌理細かく、被汚染者の疾病・症状を把握すべきである。水俣病患者の主要症状である神経症状に対応する愁訴には、物忘れが最も多く、他に手足の震え、目が見え難い、体がだるい、頭痛、頭重、首、肩、腰痛、眠れない、耳が聞こえ難い、言葉のもつれ、ひきつけ、からす曲り、目眩、耳鳴り、関節の痛み、体全体のしびれ感、体全体の痛み、全身の痙攣、よだれ等の多くの症状がある。そうであるから、水俣病の症候は、ハンター・ラッセル症候群のみに限局されない。ハンター・ラッセル症候群は、一九三七年の英国の農薬工場における有機水銀の吸引及び経皮的摂取に由来する四人の急性中毒患者の症状である。ハンター・ラッセル症候群は、昭和三〇年代に熊本大学医学部研究班が、水俣病の原因物質・原因者を厳密に特定する必要上ハンターらの論文に言及・紹介したものであり、当時の水俣病患者の急性劇症型の症例判断と原因分析に果たした役割は、極めて貴重であるが、水俣病は、有機水銀等が生態系を経て、広域の人間により長期にわたって経口摂取された結果罹患した中毒症であり、これと、工場内における少数者の直接摂取についてのハンター・ラッセルの報告による症候(感覚障害・運動失調・構音障害・視野狭窄・難聴)とでは、そもそも疾病の本質が異なるものである。水俣病は全身症状を発現する健康障害であって、有機水銀による健康障害のみを取り上げて見ても、ハンター・ラッセル症候群を示す急性劇症型の典型例、慢性型の不全型例、非典型例等のピラミッド型の裾の広い諸症状を示し、有機水銀の曝露期間、量、被害者の素質等によって多種、多彩な症状を発現し、発症について閾値はない。

三  水俣病罹患の有無の判断について

水俣病罹患の有無の判断は、水俣病像がいまだ完全に解明されている段階ではなく、未解明の部分が多く残されているのであるから、ハンター・ラッセル症候群を主要症状とする二症状以上の症状が発現しているか否かといった狭隘な病像論に執着するのは誤りである。水俣病罹患の有無については、患者がチッソ水俣工場の排出した有機水銀等重金属類に曝露された事実があるか否かを医学的検査若しくはチッソ水俣工場の工場廃水によって汚染された不知火海沿岸の居住歴、生活歴、家族歴、職業歴、同一地域における罹患状況等の疫学的調査によって判断し、患者の諸症状が明らかに他疾患によるものといえなければ、その症状はチッソ水俣工場が排出した有機水銀等重金属類によって罹患した水俣病であると認定すべきである。水俣病は未解明の公害病であり、その特殊性等から、発症のための正確な最低摂取量を規定したり、最低摂食期間を決定することは、現段階では不可能であり、曝露歴を最も重視すべきである。曝露の事実が存在したときは、次に、健康異常が発生しているか否かを判断することとなるが、この判断をするにあたっては、症状が自覚的か他覚的か、重度か軽度かによって一切区別すべきではない。そして、健康異常が有機水銀等重金属類以外の原因のみによるものと明らかに認められる場合を除外し、そうでない場合は、有機水銀等重金属類の影響を否定できないものとして水俣病と認定すべきである。

行政が水俣病の認定にあたって基準としている後記事務次官通知、五二年判断条件等は、救済法の趣旨を没却するものであって、水俣病の認定基準としては、狭きに失し不当である。殊に、五二年判断条件にいう組合せ論は、認定基準としては、狭きに失し不当であるが、仮に組合せ論をいうのであれば、軽症・微妙な各症状をチェックし、総体として把握することこそ肝要である。医学の診断と行政の認定を混同してはならない。加えて、五二年判断条件は、事務次官通知による認定基準を一層狭くしたものであって不当であるが、両者には質的な相違があり、本件処分は事務次官通知の下での処分であることに留意すべきである。

水俣病像は、時間の経過とともに、概念の外延が拡大されてきていることを忘れてはならない。水俣病像は、決して固定的に考えるべきものではなく、調査と研究を重ねることにより、メチル水銀の被汚染者である不知火海沿岸住民に限りなく接近しなければならない。

四  水俣病の認定に関する処分手続について

水俣病認定に関する手続は、救済法の趣旨、目的に沿って迅速かつ確実に広汎な健康被害者の救済を図るよう運用すべきである。しかるに、控訴人は、健康被害者の大多数を救済の門から締め出し、認定者を小人数に限局する違法不当な手続の運用をしている。即ち、先ず審査会は、認定申請書に添付された主治医の診断書を一貫して無視若しくは軽視する態度をとり、右診断に反する答申をし、これを受けた控訴人は、これらの者に対して棄却処分をしてきた。審査会は、被控訴人に対しても、認定申請書に添付された主治医の診断と異なる所見をとりながら、厳密な突合わせや比較さえ行うことなく、右主治医の診断を無視若しくは否定した。審査会のこのような添付診断書の軽視若しくは無視の態度は、診断書の添付を義務づけている救済法の趣旨に著しく違背するものである。

次に、臨床検査に先立って行われる疫学調査の結果が、認定審査の際ほとんど有効に用いられておらず、単なる医学的診断のみによって審査会の結論を得ているといっても過言ではない。このことは、一審相原告淵上のように濃厚な汚染曝露を受けた者さえなんらの考慮もされていないことからも明らかである。検診方法も極めて不適切である。検査項目は多数ありながら一回限りのものであり、しかも、被検者が検診センターに出向いて初対面の医師の検査を受けるだけである。的確な検診結果を得ようとするならば、本来、健康被害を訴える者の症状を正確に把握するため、健康被害者が日常生活においてどういう症状を示し、いかなる支障を来しているかを健康被害者の日常生活の中で仔細にとらえていく視点が必要不可欠である。症状をできる限り見落とさずに採取する検診方法による検診結果を得ずに、杜撰な一回限りの検診結果を審査会資料とし、申請者の健康被害の症状の有無を判断するなどもってのほかである。更に、控訴人が検診者の氏名を明らかにせず、検診録すら提出しないのでは検診結果の信憑性も疑わしく、資料としての価値はないに等しい。また、審査会委員は、各科専門の臨床医及び病理医のみで構成されており、公衆衛生学者、法律家が委員に選任されたことはなく、杜撰な検診結果に基づき、疫学的調査結果に配慮することなく、単に医学的判断をし、鹿児島県公害被害者認定審査会条例四条四項に定める多数決による決議によらずに、全員一致の決議によって水俣病罹患の有無の判定をし、全員一致の意見を見ない限り判定をしないという審査会の審査、決議の方法は、救済法及び右条例に明らかに違反しており、許さるべきではない。そして、控訴人は、審査会の右違法不当な審査決議に対し、何らの指導監督を行わず、これを長年にわたって容認し、しかも、控訴人は、審査会の答申がどうであれ、救済法の趣旨、目的に沿い、他に類例を見ない広汎な公害による多数の健康被害者の迅速かつ確実な救済のために、自己の裁量権限に基づいて、早期に認定申請に対する判断をすべき義務があるにもかかわらず、右義務を尽くすことなく、漫然と救済法の趣旨、目的に違反し、審査会の答申のみに依拠して、答申に沿う認定に関する処分をしているに過ぎず、控訴人の水俣病の認定に関する処分態度は最早救い難い状況にある。

五  被控訴人の水俣病罹患の事実について

被控訴人が水俣病に罹患している事実は以下のとおり明らかである。

1  メチル水銀曝露の存在

(一) 家族歴

被控訴人は、父御手洗万寿男、母ミサヲの三男として、昭和一一年一月一五日、大分県日田郡中津江村一の瀬の鯛生金山で出生し、昭和三八年一〇月山崎カチ子と婚姻し、昭和三九年七月二五日長男辰夫、昭和四一年三月三日長女知子をもうけた。父万寿男は、被控訴人が生後八か月目に鉱山事故で死亡した。万寿男、ミサヲには、遺伝的疾患はなかった。

被控訴人は、二歳の時(昭和一二年)にポリオ(脊髄性小児マヒ)に罹患し、両足が痲痺して歩行不能となり、七歳の時(昭和一七年)に右腕を骨髄炎に侵され、手術後、右肘関節が完全に伸びなくなった。

(二) 職業歴

被控訴人は、昭和三七年、福岡で約一か月半洋服店の仕立て見習いをし、その後、美術品の販売、靴の修理販売等転々と職を変えて現在に至っている。

(三) メチル水銀曝露歴

被控訴人は、父死亡後母に連れられて鹿児島県阿久根市にある父の実家に移り住み、水産加工と海産物の卸元を営んでいた祖父御手洗辰次郎、祖母キノの許で昭和一八年頃まで養育され、その間、魚介類が好きで勝手放題に不知火海の魚介類を多食した。その後、一時期、鹿児島県出水市武本の母方の実家で約二年間居住したが、昭和一八年頃から同市内の米の津で割烹旅館の経営を始めた母ミサヲの許で養育され、昭和二五年頃まで不知火海の魚介類を多食した。母の経営する割烹旅館は、米の津の漁師釜鶴松から不知火海の魚介類を多量に仕入れ、これを料理して提供していた。その後も、被控訴人は、昭和二五、六年頃阿久根市の祖父母の許に戻って生活し、昭和三七年頃まで水俣湾等の不知火海の魚介類を多食した。祖父辰次郎は、昭和二四年頃以降、水俣市八幡に居住する金子某から密造酒を仕入れて販売を始めたが、金子某は、密造酒の焼酎隠匿用に水俣湾で取れたイワシ、ハモ、タチウオ、グチ、クツゾコ等の魚を毎日少なくとも約七、八kg持ち込んでおり、このような仕入れが、昭和二八年三月に辰次郎が死亡する三日前まで続けられ、持ち込まれた水俣湾産の魚は、すべて辰次郎ら家族で消費した。なお、昭和二八年には、水俣湾内のクロダイ、スズキ等の死魚が大量に浮上し、更に、海藻や貝類も著しく死滅した。釜鶴松は、被控訴人が阿久根市の祖父母の許に戻ってからも、昭和三一年頃まで約六年間出水市米の津付近の海域でとれたボラ、キス、クサビ、ヤノイオ、タコ、ナマコ等を手土産に持参して繁々と訪れ、このような関係は、釜鶴松が劇症型の水俣病で急死する昭和三五年一〇月一三日の直前まで続き、被控訴人は釜の持参した漁獲物を食べ続けた。

(四) 親族、近親者及び知人の水俣病罹患

祖父辰次郎は、昭和二八年三月二〇日、突然涎を流し激しい痙攣に襲われてろれつが回らなくなり、三日間苦しみもがいて凄絶な死を遂げた。水俣病の急性劇症型の典型症例と思われる。続いて、祖母キノは、その頃から突然歩けなくなって病床につき、約二年半後には発狂して夜中に苦悶し呻き声を発しながら、昭和三一年二月九日、非業の死を遂げた。祖母もまた水俣病の急性劇症型患者であったことは明らかである。釜鶴松は、村相撲で横綱を張る体格の持ち主であったが、昭和三五年一〇月一三日、急性劇症型の水俣病で死亡した。

2  健康障害の存在

(一) 発病及び自覚症状

被控訴人は、昭和三二年頃から両手の指先が手袋でもかけたように感覚が鈍り始め、小刻みに震えるようになって、ギターの爪弾きができなくなり、昭和三四年秋頃から、頭痛、涎、舌のもつれ等の症状が発現した。涎は自然に出ないようになったが、他の症状は残存した。更に、被控訴人は、昭和三五年頃から左半身にしびれ、だるさが発現し、口が思うようにきけずに震え、早口で話すと舌がもつれるようになり、昭和三七年六月頃からは、右手が痛み始め、しびれているため物が握れなくなった。そこで、被控訴人は、同年八月二日久留米国立病院整形外科に入院し手術を受け、昭和三八年一〇月二二日同院を退院したが、右手の指や皮膚のしびれは残存し、更に、左半身のしびれや麻痺が発現した。昭和三九年に原動機付車椅子の免許を受け、道で知人と擦れ違っても気付かず、妻カチ子からも道で擦れ違っても気付いてくれないとよく怒られた。その頃には、両眼に求心性視野狭窄が進行していたのである。

被控訴人の右のような症状は、水俣病に特徴的な、感覚障害、視野狭窄・沈下・眼球運動異常、聴力障害、運動失調であることは、明らかである。被控訴人には、ポリオ(脊髄性小児麻痺)、骨髄炎の後遺症があるけれども、頸椎症、糖尿病、脳血管障害、眼球疾患等の他疾患の存在しないことが確認されているから、右症状がメチル水銀の影響によるものであり、被控訴人が水俣病に罹患していることは、明白である。

なお、前記のとおり、被控訴人は、昭和一二年、二歳当時、ポリオ(脊髄性小児麻痺)に罹患し、両足が麻痺して歩行不能となり、七歳当時右腕を骨髄炎におかされて手術を受け、右肘関節が完全に伸びなくなった。しかしながら、被控訴人は、生来、負けず嫌いの性格であり、子供の頃から両足は全く歩けず、右手も不自由ではあったが、水泳、櫓漕ぎをこなした。一八歳当時、阿久根で左手のみで一五〇〇メートル泳いだことで毎日新聞に大きく報道されたこともあるくらいである。更に、船を漕いで対岸の阿久根大島まで、数度、一人で往復したこともあるほど頑健であった。

それなのに、現在は、手足の指、大腿部をはじめ左半身全体がしびれ、右半身は左ほどではないが、知覚が鈍く、手足の先が良くしびれる。また、口周囲がしびれ、唇は熱いものをあまり感じず、舌がしびれて、味覚、臭覚も鈍い。更に、常時頭重感があり、物忘れがひどく物事に対してあきっぽいし、風邪もひきやすい。言葉を急いで話せばもつれる。道で知人とすれちがっても相手に気付かないことがよくある。肝臓が悪く通院したこともある。このような自覚症状に日夜苦しんでおり、病状は軽快しない。

(二) 臨床所見(他覚的所見)

(1) 感覚障害

被控訴人に対する鹿児島県認定審査会の昭和四八年一月一八日から同月二〇日検診の第一四回認定審査会資料、昭和四八年三月一四日検診の第一五回認定審査会資料、昭和四八年五月二二日から同年七月一〇日検診の第一六回認定審査会資料(以下これらを「審査会資料」という。)は、被控訴人に四八年一月一九日の検査では、首から下、左半身麻痺、右上肢の感覚障害を認め、昭和四八年五月二五日の検査では、顔面上部を除く顔面の感覚障害、首から下、左半身麻痺、右上下肢の感覚障害を認め、昭和四八年七月四日の検査では、顔面左側上部を除く顔面部全体の感覚障害、右側上肢、右側下肢から躯幹部に及ぶ各感覚障害を認めている。被控訴人の感覚障害は、左半身の片麻痺の感覚障害と四肢末梢系の感覚障害が併存し、四肢末梢系の感覚障害は、健側である右側の上肢、下肢、頭部、躯幹部へと拡大悪化していることが明らかであり、これを図示すると、次のとおりである。

先ず、一つは、片麻痺状の感覚障害

もう一つは、四肢末梢型(globe and stocking形)の感覚障害

メチル水銀による中枢性神経系障害に特有な症状の一つである四肢末梢系の感覚障害の部位は、徐々に拡大するのが通例である。阪南中央病院三浦医師の鑑定書(<証拠略>)は、被控訴人の右感覚障害が右二系統によるものと判断しており、更に、口周囲の感覚障害を認めている。

(2) 運動失調

右三浦医師の鑑定書は、全体の判断としては不明であるとしながら、他の検査との関連で、水俣病に特徴的な小脳性の運動失調が存在する可能性が強いと判断している。

(3) 求心性視野狭窄、視野沈下及び眼球運動異常

これらの眼科障害は、控訴人の肯認するところである。被控訴人の審査会資料は、求心性視野狭窄、視野沈下及び眼球運動異常を認め、水俣病に起因する症状であることが否定できないとする判断をしている。久留米大学医学部付属病院医師杉田隆の昭和四八年一〇月九日付診断書は、ゴールドマン視野測定機により求心性視野狭窄を認め、視力、眼底等には全く異常を認めず、網膜色素変成症は認められない旨の判断をし、被控訴人の求心性視野狭窄が中枢神経系に起因することが確認されている。阪南中央病院三浦医師の鑑定書は、両側性の求心性視野狭窄がポリオによって起こる可能性はないと明言し、CTスキャンの結果を含めて脳腫瘍、脳血管障害によるものではないと判断している。原審証人原田正純は、求心性視野狭窄が心因性による可能性を否定する証言をしている。

(4) 難聴

被控訴人はメチル水銀による内耳性難聴である。控訴人も、右内耳性難聴がメチル水銀の影響によるものであることを否定しないところである。

(5) 筋萎縮

被控訴人に見られる筋萎縮はメチル水銀に基因する慢性期の一つの症状である。

3  以上のとおり、被控訴人は、救済法による指定地域において、或いはこれに由来するメチル水銀に長期かつ多量に曝露を受けた事実が存在し、健康障害の諸症状も水俣病に特徴的な諸症状と一致しているのであるから、被控訴人が昭和三二年頃には水俣病を発症し、漸次その症状が拡大し、重くなっていったことが明らかである。

六  本件処分の違法性

以上のとおり、被控訴人は、不知火海の魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することによって健康被害を受けた者であり、控訴人は、公害による健康被害の救済を図ることを目的とする救済法一条の趣旨に則り、同法三条に基づいて被控訴人の健康被害が有機水銀の影響によるものである旨の認定を行うべきである。

しかるに、控訴人は、被控訴人の健康被害が経口摂取した有機水銀の影響であることを否定し、被控訴人の水俣病認定申請を棄却したものであり、本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

第四控訴人の主張

一  水俣病について

1  水俣病は、チッソ水俣工場アセトアルデヒド酢酸製造工程で生成されたメチル水銀化合物を含む工場廃水が、長期にわたってかつ多量に水俣湾及びその付近海域に排出された結果、魚介類が汚染され、魚介類の体内に濃縮したメチル水銀が蓄積し、更に、地域住民が右魚介類を経口摂取することにより人体内にメチル水銀が蓄積して罹患する中毒性神経系疾患である。

2  メチル水銀は、人体内において視中枢を中心とする大脳皮質(大脳後頭葉の鳥距野の萎縮)、小脳皮質(小脳顆粒細胞の脱落)、大脳側頭葉皮質の聴覚中枢及び末梢神経等の神経組織に障害を惹起し、臨床的には多様な症状を発現させ、主たる症状は、四肢末端の感覚障害、運動失調、平衡機能障害及び両側性の求心性視野狭窄、眼球運動異常、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害等である。中枢神経系の異常は、臨床的には感覚系、運動系、自律神経系の各障害に区分される。メチル水銀中毒症の主要症状のうち感覚障害、視野狭窄、難聴は感覚系障害であり、構音障害、歩行障害、運動失調は運動系の障害である。自律神経系の障害は見られない。

3  人体内に摂取、蓄積されたメチル水銀は、やがて分解、排出され、新たな摂取がなければ約七〇日間の経過で体内残存量は半分に減少し、人体内に摂取されるメチル水銀の量が増大すると分解、排出される量も増大し、日々一定量のメチル水銀を長期間連続摂取すると人体内のメチル水銀の蓄積量は増大していくが、ある期間経過すると摂取量と分解、排出量が平衡状態となり、以後メチル水銀の蓄積量は増大しないことが実証されている。そして、右蓄積量がある量を超えると、神経細胞が死滅して再生されることなく、各種の神経障害が生じて、これに対応する諸症状が発現し、右蓄積量が右の限度以内である場合には、神経障害を惹起しないことから、メチル水銀の毒性にも閾値が存在することが明らかである。メチル水銀の摂取量の多少、期間の長短によって、惹起される神経障害の度合は異なり、四肢末端の感覚障害、運動失調、両側性の求心性視野狭窄、構音障害及び聴力障害の五症状即ち典型的なハンター・ラッセル症候群が発現する典型例から、必ずしもハンター・ラッセル症候群が発現しない不全型例、非典型例があり、個々の症状は、メチル水銀中毒症に特有のものではない。

4  メチル水銀中毒症である水俣病の症状は、四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、平衡機能障害、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害が主な症状として多く発現するが、他に口周囲、舌尖のしびれ(感覚障害)、筋力低下、振戦、眼球運動異常、味覚障害、精神症状、痙攣その他の不随意運動、筋硬直等の症状を示すことがあり、通常初期には、四肢末端及び口周囲のしびれ感が生じて漸次拡大し、更に、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等が発現する。

(一) 感覚障害

しびれとして自覚されることが多く、極めて出現頻度の高い症候であり、ほとんどすべての水俣病患者に初発症状として自覚される症状である。感覚障害があるかどうかは、通常、筆等による触覚検査、針等を用いた痛感検査等で医師が確認する。水俣病の典型例では、四肢末端に手袋・靴下状(globe and stocking状)の感覚異常がみられるが、口周囲の感覚鈍麻がみられる例もある。また、振動覚や間接位置覚が障害されることもある。しかしながら、他の疾患による感覚障害と鑑別できるような特徴はみられない。

(二) 運動失調

感覚障害とともに出現頻度の高い症候である。その特徴は、小脳性運動失調であって、運動時の円滑さの障害、運動の大きさの測定障害、交互変換反復動作の障害等の協調運動機能障害である。運動失調は、歩行、言語状態の仔細な観察によって判断できることが多く、デイアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験等により確認する。

(三) 視野狭窄

視野は眼球を動かさずに光を確認しうる広さの範囲である。水俣病における視野障害は、大脳後頭葉の鳥距溝の障害(神経細胞の脱落)のために惹起されるものであって、視野障害は視野周辺から始まり周辺ほど著しい感度低下を来して傘型沈下を示す。水俣病における視野狭窄は、求心性かつ両側性であって、左右差は外側視標で一五度を越えることは希である。求心性視野狭窄は水俣病における特異性の高い症状である。

(四) 平衡機能障害

平衡機能は、視覚系、内耳前庭系及び内耳前庭系以外の諸知覚系を刺激受容器とし、眼運動系及び脊髄運動系(四肢の筋肉等)を効果器官として中枢にある総合系の小脳及び脳幹がこれらを制御している。水俣病における平衡機能障害は、小脳及び脳幹部の障害によって惹起される症状である。なお、運動失調がある場合には、一般に平衡機能障害が認められる場合が多い。

(五) 構音障害

水俣病における構音障害は、小脳性運動失調の一症状であり、緩徐な言語、爆発性言語、断綴性言語等がみられる。

(六) 聴力障害

聴覚には振動音を伝達する系と振動音を電気信号に変換して神経に伝達する系とがあり、前者の障害を伝音性難聴、後者の障害を感音性難聴といい、感音性難聴は迷路(内耳)性難聴と後迷路性難聴に分別される。水俣病における聴力障害は、大脳側頭葉皮質の聴覚中枢の障害(大脳側頭葉横回の神経細胞脱落)によって惹起される症状であり、後迷路性難聴である。これは、聴覚疲労現象、語言音聴力検査で確認する。

(七) 歩行障害

水俣病における歩行障害は小脳性運動失調の一症状である。

5  水俣病における右各症状は、単独では非特異的であり、四肢末端の感覚障害は、糖尿病、アルコール、ビタミン欠乏、栄養障害等による多発神経炎、脊髄及び末梢神経を侵す多くの疾患の症状としても見られるものであり、かつ、主観的要素の強い症状である。求心性視野狭窄は、視神経炎後の不完全視神経萎縮、色素性網膜炎、緑内障、心因性視野狭窄等によっても類似の症状が発現することがある。聴力障害は、中枢性以外の各種疾患による聴力障害によっても類似症状を呈することがある。

二  水俣病罹患の有無の判断について

そこで、前記各症状が水俣病に起因するか否かの判断は、他の症状との関係を考慮し、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要がある。

水俣病罹患の有無は、(1) 汚染された魚介類の経口摂取により有機水銀(メチル水銀)が体内に蓄積された事実が存在するか否か、(2) 有機水銀中毒症に起因するものと思われる症状を有し、その症候が他の原因によるものではないと考えられるか否かによって判断する。

(1)の事実の有無については、本人又は家族等の周囲の人の魚介類摂取に係る供述や、居住歴、家族歴及び職業歴等から判断することができる。なお、汚染当時の人体内における有機水銀の濃度が判明すれば、有機水銀曝露の直接的指標となりうる。

(2)の事実の有無については、有機水銀中毒症の病理学的所見と臨床症状が一致するか否かによって水俣病の症状か否か判明するが、通例病理学的所見を得ることは不可能であるから、臨床症状と疫学条件によって、その症状が水俣病に起因するか否かを判断せざるを得ない。そして、水俣病における症状は、単独では一般に非特異的であって、他の疾患によっても同一症状を発現することがありうるため、患者の発現する症状が水俣病に起因するか否かの判定にあたり、他の疾患よりも水俣病に起因するとするのが合理的な水俣病における各種症状の組合わせを作り、右組合わせに適合しない症状は、水俣病に起因するものとするには合理的根拠が乏しいものとすべきである。しかしながら、多様な水俣病像を考えたときに、すべての水俣病が症候の組合わせに適合しているとはいえない例外の場合も考えられ、更に、水俣病における症状に類似する症状を発現する他疾患が存在する場合もあり、患者に発現する症状が水俣病に起因するものであるか否かの判定は、高度の学識と豊富な経験に基づいて慎重に検討して判断すべきである。

三  本件処分の正当性

控訴人は、救済法の趣旨、目的、水俣病の判断についての行政通知に則り、水俣病の認定に関する処分手続に従い、所要の疫学調査及び医学的検診を実施し、水俣病に関する医学についての高度の学識と豊富な経験を有する医師を委員とする鹿児島県公害被害者認定審査会(以下「審査会」という。)の意見に基づいて、被控訴人の疾病は水俣病ではないと判断し、被控訴人の認定申請を棄却したのであるから、本件処分は正当であって、そこに何らの違法もない。

第五判断

一  次の事実は当事者間に争いがない。

1  本件処分

被控訴人は、昭和四七年二月七日、控訴人に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をした。控訴人は、鹿児島県公害被害者認定審査会(審査会)の答申に基づき、昭和四八年八月二九日、右申請を棄却する処分(以下「本件処分」という。)をした。そこで、被控訴人は、昭和四八年一〇月一九日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

2  本件処分に至る経過

(一) 昭和四七年二月七日 被控訴人の認定申請書を受理

(二) 疫学調査実施 昭和四八年一月一八日

医学的検査実施(水俣市立病院)

(1) 昭和四八年一月一八日耳鼻咽喉科(清藤武三医師)

(2) 同年同月一九日内科(井形昭弘医師)

(3) 同年同月二〇日眼科(筒井純医師)

(三) 昭和四八年一月二二日 審査会諮問

(四) 昭和四八年一月二六日及び翌二七日開催の第一四回審査会の審査

答申保留 眼科再検診を要する。

(五) 熊本大学医学部附属病院

眼科の再検査 昭和四八年三月一四日

(六) 昭和四八年三月二九日及び翌三〇日開催の第一五回審査会の審査

再度答申保留 「血管障害(血管異常)のsignもみたい。」

(七) 医学的検査(熊本大学医学部附属病院)

(1) 昭和四八年五月二二日から同年七月一〇日まで内科

(2) 同年五月三〇日耳鼻咽喉科

(3) 同年六月一九日眼科

(八) 昭和四八年八月二四日及び翌二五日開催の第一七回審査会

棄却相当の答申

(九) 昭和四八年八月二九日 認定申請棄却処分(本件処分)

二  本件処分の理由

証拠(<証拠略>)によれば、本件処分は概ね次の理由によると認められる。

1  被控訴人が、本件認定申請にあたり提出した医師の診断書(<証拠略>)には、「左前胸部、左上腕知覚異常」「元来患者は両下肢弛緩性麻痺(両麻痺性内反足)、右尺骨神経不全麻痺で昭和三七年頃、左右足関節固定、同部位腱移植術を受けたが、その頃から左上腕にしびれ感が発現し、その後しびれ感の範囲が拡大して、現在左前胸部、左上腕、左背部のしびれ、筋弛緩、筋萎縮があり、左肩関節機能障害あり。」との記載がある。

2  しかし、右診断書記載の症状では水俣病と認定できない上、鹿児島県が委嘱した専門の医師の医学的検査の結果によれば、(1) 神経内科学的には、二度の検査を通じて左半身及び右上下肢末梢の不定型の感覚障害が認められるほか、下肢末梢部、上肢肩胛部に脱力、筋萎縮、各所の筋に筋電図で神経原性異常所見が認められるが、右感覚障害は、部位が短期間に移動し、分布にも左右差があり、水俣病における四肢末端型の感覚障害とは異なっており、協調運動障害も認められない。その他の右各症状は、肩胛腓腹筋型筋萎縮の症状と一致し、右萎縮は有機水銀中毒症の症状ではない。(2) 眼科学的には、三度の検診を通じ両側の視野狭窄が認められる。しかし、右視野狭窄は、二歳当時に罹患したポリオ脳炎(急性灰白髄炎)或いは昭和四一年に発生した意識障害発作に起因する可能性が大きい。(3) 耳鼻咽喉科学的には、二度の検査を通じ軽度の聴力障害が認められるが、これは内耳性難聴であって、水俣病における聴力障害とは異なっている。

3  以上の医学的所見に、魚喫食状況、居住歴、家族歴、職業歴等の疫学的調査結果を総合判断すると、被控訴人が水俣病に罹患しているとは認められない。

三  救済法に基づく認定制度

1  救済法の目的、内容

救済法は、昭和四二年七月二一日に制定された公害対策基本法の精神に則り、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁が生じたため、その影響による疾病が多発した場合において、当該疾病にかかった者に対し医療費、医療手当及び介護手当の支給の措置を講ずることにより公害健康被害者の健康被害についての救済を図ることを目的として制定された法律である(同法一条、四ないし九条)。

2  救済法と補償法の関係

なお、昭和四八年一〇月、救済法による給付内容の拡大を目的として、公害健康被害の補償等に関する法律(昭和四八年法律第一一一号。但し、昭和六二年法律第九七号による改正により法律の題名を変更。以下「補償法」という。)が制定され、救済法は補償法附則一〇条によって廃止されたが、同法附則一一条、一二条によって、補償法施行(昭和四九年九月一日)の際、現に救済法に基づき認定を受けている者は補償法による被認定者とみなすこととされ、また、右施行の際、現に救済法に基づく認定申請をしている者に対しては、従前の例によりその認定をすることができることとされた。救済法の下での公害被害者認定審査会は、補償法の下では公害健康被害認定審査会と改組された。

3  救済法による認定手続

(一) 救済法による指定疾病と指定地域

救済法は、同法に定める救済を行う前提として、まず、指定地域及び当該指定地域において多発している疾病(以下「指定疾病」という。)を定めることとし、同法の委任を受けた公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令(昭和四四年政令第三一九号。以下「救済法施行令」という。)一条及び別表が指定地域及び指定疾病を定めている。被控訴人に関するものとしては、「鹿児島県出水市の区域」における「水俣病」が指定されている。

(二) 指定疾病の認定に関する処分は、県知事が当該指定地域につき当該指定疾病に罹患したとする者の認定申請に基づき、当該認定申請者が指定疾病に罹患しているか否かを調査審議することをその業務とする公害被害者認定審査会の意見を聴いて行うものとされており(救済法三条一項、二項、二〇条一項)、指定疾病の認定に係る処分については、同審査会による審査手続が設けられている。

4  水俣病認定処分における審査手続

(一) 認定審査会の設置

被控訴人に係る水俣病認定処分に関する認定審査会として、救済法二〇条に基づき、鹿児島県公害被害者認定審査会(審査会)が設置されている。

(二) 審査会の組織、運営

救済法は、審査会の委員の最大人数、委員の資格及び任命権者を除く組織、運営その他審査会に関し必要な事項については条例で定めるものとしており(救済法二〇条四項)、これを受けて鹿児島県では、鹿児島県公害被害者認定審査会条例(昭和四五年条例第一号)が定められている。しかし、右条例は、委員の人数及び任期、会長及び副会長の選任方法、会議の招集、議決の方法、関係人からの意見聴取、庶務の担当に係る事項を定めるのみで、その余の審査会における具体的運営事項、例えば、審査・判定の基準及び方法等については何ら定めておらず、条例に定めるもののほかの運営事項については、会長が審査会に諮って定めるものとしている(審査会条例七条、<証拠略>)。その他の関係省政令にも、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行規則(昭和四五年厚生省令第三号。)に申請書の提出先及び添付書類についての定めがあるだけで(同規則一条、二条)、審査方法等の手続の詳細について特別の定めはない。

右に見た制度の仕組みに照らすと、審査会における審査・判定等の具体的運営方法については、審査会の合理的な判断に委ねられているものと解される。

(三) 認定申請から審査会の審査・答申に至るまでの手続

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 申請書の提出と受理通知

認定申請者は、申請書を鹿児島県衛生部公害課に提出し、これを受けた同課は申請書及び添付書類について形式的審査を行った上、申請者に受理通知を行う。

(2) 鹿児島県職員らによる疫学条件調査及び予備検査

申請書を受理した鹿児島県衛生部公害課職員が、県の委嘱した関係医師らと打合わせの上、検診計画を立て、右計画に基づき国民健康保険水俣市立病院検診センター(以下「検診センター」という。)において、県職員及び水俣市立ケースワーカーによる疫学的条件に関する調査(病歴、職歴、生活歴、魚介類の入手方法及び摂取歴、家族の状況)及び専門的機器を使用する諸種の予備的検査(視力検査、ゴールドマン量的視野計による求心性視野狭窄及び沈下の有無による視野検査、視標追跡眼球運動検査、自記オージオメーター等による難聴の鑑別を行う純音及び語音聴力検査、眼振の異常により平衡機能障害を調べる視運動性眼振検査)を行う。

(3) 専門医師による医学的検査

鹿児島県職員らによる疫学条件調査及び予備検査の後、鹿児島県が委嘱した神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科等の専門の医師が、感覚障害、小脳性運動失調、平衡機能障害、構音障害、振戦、痙攣、筋力低下、精神症状、視野狭窄及び沈下、眼球運動の異常、中枢性聴力障害等の有無、右症状が存在する場合にメチル水銀の影響による可能性があるか否か或いは他疾患との関連性はどうか等について調べるほか、血圧測定、尿の一般検査、梅毒血清学的検査、頸部の単純・断層X線検査を行っている。また、医師の指示により、必要に応じて各種血液検査、脳波検査、筋電図検査、末梢神経伝導速度検査、四肢の骨・関節・頭蓋骨等のX線検査等を行うこともある。

(4) 検診等の準拠と審査会資料の提出

右検診等は、救済法の施行に合わせて出された「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の施行について」(昭和四五年一月二六日厚生省環境衛生局長通知。<証拠略>)及び「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法による認定に際しての医学的検査の実施について」(同日厚生省環境衛生局公害部庶務課長通知。<証拠略>)に基づくものである。検診等で得られた資料に基づき審査会に提出する資料(以下「審査会資料」という。)が作成され、これが鹿児島県衛生部公害課に提出される。審査会資料は、審査会において、認定申請者が水俣病に罹患しているか否かを判断するための資料とされるものであり、予め審査会委員間の検討に基づいて水俣病罹患の有無の判断に必要な事項として抽出された疫学的調査事項及び検診所見事項について、疫学的調査事項の部分を県職員が作成し、検診所見事項に関する部分を各専門分野毎に審査会委員が、それぞれ整理して記載する。

(5) 知事の諮問、認定審査会の委員の構成

鹿児島県知事は、審査会に対し、認定申請者に関する審査会資料を添付して認定申請者の水俣病罹患の有無について諮問する。審査会委員は、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科、整形外科、小児科及び病理学の専門医の中から委嘱されている。

本件処分当時の審査会(会長熊本大学医学部第二病理武内忠男教授)は、神経内科については鹿児島大学医学部第三内科井形昭弘教授、川崎医科大学神経内科荒木淑郎等、内科については水俣病市立病院副院長三嶋功、眼科については熊本大学医学部眼科筒井純教授、耳鼻咽喉科については熊本大学医学部耳鼻咽喉科清藤武三講師、精神科については熊本大学医学部精神科立津政順教授、小児科については熊本大学医学部体質医学研究所原田義孝教授(昭和四八年七月一日からは熊本大学医学部体質医学研究所森山弘之講師)、病理学については熊本大学医学部第二病理武内忠男教授の各委員により構成されていた。また、鹿児島県では、水俣病検診専門委員が置かれ、専門委員は水俣病の認定等に係る医学的業務に従事し、審査会において、意見を述べ、又は説明することができるとされている。

(6) 審査会の審査方法

審査会の審査の方法は、各審査会委員に審査会資料が配布され、先ず、県の担当職員から疫学的調査の結果の説明をし、次いで、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科の各担当委員から各科の検診所見を説明した後、所見の評価、確定を行い、その上で、疫学的調査の結果及び右確定した所見を基に、水俣病に関する医学上の知見に照らして、認定申請者が水俣病に罹患しているか否かを医学的に総合判断することになっている。各科の所見の評価で疑問があったり、十分な資料がとれていないという場合には、水俣病であるかの総合的な判断ができないとして、疑問の点について重点的に期間をおいて再度検診を行うため、保留となることもある。最終的な結論は、このような経過を経て、特に裁決を経ることなく全員一致となるのが運用の実情である。

(7) 審査会の答申

審査会は、認定申請者が水俣病に罹患しているか否かについて審査し、知事に対し答申を行う。

答申書の医学的判定のランクは、次のようになっている。

<1> 水俣病である。又は有機水銀の影響による。

<2> 水俣病の可能性がある。又は有機水銀の影響による可能性がある。

<3> 有機水銀の影響の可能性は否定できない。

<4> 水俣病ではない。又は有機水銀の影響は認められない。

<5> わからない。

(四) 知事の水俣病認定処分

鹿児島県知事はこの答申に基づいて認定に係る処分を行う。実際には、<3>の「有機水銀の影響の可能性は否定できない。」以上のランクに該当するとの答申を受けたものが認定処分を受けている。

概ね五〇パーセント以上の可能性で水俣病と判断できる場合に、<3>の「有機水銀の影響の可能性は否定できない。」のランクに該当する旨の答申がされているのが運用の実情である。<4><5>のランクに該当する旨の答申があると認定申請は棄却される。

四  認定制度の周辺にあるもの

次の事実は、当裁判所に顕著な事実である。

1  補償協定

昭和四八年三月二〇日の熊本水俣病第一次訴訟判決は、同事件原告らの損害額を死亡者本人の慰謝料として最低一〇九〇万円から最高一八〇〇万円、生存患者の慰謝料としては症状の程度のランク付けをせずに概ね一八〇〇万円、一七〇〇万円、一六〇〇万円と算定した。右判決後の患者らとチッソ株式会社との交渉の結果、同年七月九日、チッソと「水俣病患者東京本社交渉団」との間で、救済法、補償法に基づく水俣病の認定を受けた者に補償金を支払うことを内容とする補償協定が成立し、その後同年一二月二五日、チッソと「水俣病被害者の会」との間でも同内容の補償協定が成立した。その主たる内容は、慰謝料としてAランクの患者と死亡者には一八〇〇万円、Bランクの患者には一七〇〇万円、Cランクの患者には一六〇〇万円、終身特別調整手当として一月当たりAランクの患者には六万円、Bランクの患者には三万円、Cランクの患者には二万円を支払う、治療費、介護費についても救済法の定める額を支払うというものであり、この協定内容は協定締結以降認定された患者についても適用されるものとされた。

チッソの経営は、昭和五二年には危機的状態に陥り、補償金の支払に支障を生じるおそれがある状態になった。そこで、国において昭和五三年六月二〇日「水俣病対策について」という閣議了解を行い、熊本県が県債を発行してチッソに貸付けること等の金融支援措置を行うことが取決められ、こうしてチッソの補償金の支払は、現実には公的資金を導入して行われている。

2  特別医療事業

熊本県、鹿児島県では、昭和六一年度から特別医療事業を実施している。この事業は、水俣病認定申請を棄却された者のうち、一定の居住要件(指定地域等―熊本県水俣市、八代市、天草郡御所浦町、同郡竜ヶ岳町及び芦北郡、鹿児島県出水市、阿久根市及び出水郡―に昭和四三年一二月三一日以前に居住していた者)及び症状要件(四肢の感覚障害を有し、その原因が不明の者)に該当する者で、知事に対して適用申請をした者を対象として医療費の自己負担分を助成する制度である。再度水俣病認定申請をした場合はこの事業の適用は受けられないこととされている。

五  審査会における水俣病の判断基準

証拠(<証拠略>)によれば、それぞれ次のような経過を経て各行政通知が発せられており、審査会がこれら各行政通知を後天性水俣病の判断基準としている事実が認められる。

1  四六年事務次官通知

昭和四五年、熊本県知事、鹿児島県知事による認定申請棄却処分を受けた申請者ら九名が行政不服審査法に基づき厚生大臣に対し審査請求を行ったところ、昭和四六年八月七日、環境庁長官(環境庁は同年七月一日発足し、右審査請求に関する権限は環境庁長官が承継した。)は、九名に対する認定申請棄却処分を取り消す裁決をした。そして、右同日、環境庁事務次官は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する通知(以下「四六年事務次官通知」という。)を発し、救済法に基づく水俣病の認定の要件を次のとおり、示した。

(一) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経疾患であって、次のような症状を呈するものであること。

四肢末端、口周囲のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等をきたすこと。また、精神症状、振戦、痙攣その他の不随意運動、筋強直等をきたす例もあること。

主要症状は、求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む)、難聴、知覚障害であること。

(二) 右(一)の症状のうちのいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まれないが、当該症状の発現又は経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであること。

なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現又は経過に、経口摂取した有機水銀が全部又は一部として関与していることをいうものであること。

(三) (二)に関し、認定申請者の示す現在の臨床症状、既往歴、その者の生活史及び家族における同種疾患の有無等から判断して、当該疾病が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、救済法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。

(四) 法三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、県知事は、公害被害者認定審査会の意見において、認定申請者の認定申請に係る水俣病が、指定地域における水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請者の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料等から判断して、指定地域にかかる水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると認め、すみやかに認定を行うこと。

(五) 県知事は、認定に際し、認定申請者の当該疾病が医療を要するものであれば、その軽重を考慮する必要はなく、もっぱら当該疾病が当該指定地域に係る水質の汚濁の影響によるものであるか否かの事実を判断すれば足りること。

(六) 救済法は、現段階においては因果関係の立証や故意過失の有無の判定等の点で困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、当面の応急措置として緊急に救済を要する健康被害に対し、特別の行政上の救済措置を講ずることを目的として制定されたものであり、救済法三条の規定に基づいて知事の行った認定に係る行政処分は、ただちに当該認定に係る指定疾病の原因者の民事上の損害賠償責任の有無を確定するものではないこと。

2  環境庁企画調整局公害健康課長通知

右裁決、通知に対し、公害被害者認定審査会の委員らがこれを不満として辞意の意向を表明したことなどから、昭和四六年九月二九日、環境庁企画調整局公害健康課長は、裁決書及び次官通知の解釈について疑義が寄せられたので、これに対する当庁の考え方を知らせるとして、「水俣病認定棄却処分に係る審査請求に対する裁決及び公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定(環境庁事務次官通知)について」と題する通知を発した。その内容の骨子は、前示「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」が行った研究報告は水俣病診断の医学的基礎となるものであり、この点については今回の裁決書及び四六年事務次官通知によって何ら影響を受けるものではないとし、認定申請人の示す症状の一部を四六年事務次官通知にいう「有機水銀の経口摂取による影響を否定し得ない。」とするかどうかについては、裁決書及び事務次官通知の趣旨に従い、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を基礎とすべきものであり、この医学的判断をもとに県知事が認定に係る処分を行うことになる、とするものである。

3  五二年判断条件

環境庁は、昭和五〇年、水俣病の認定を行うにあたっては、疫学的事項、症状の把握、各種の臨床的検査の実施、他疾患との区別等について種々の問題があり、四六年事務次官通知にいう「有機水銀の影響が否定しえない場合」とは具体的にどういう場合であるかについて、臨床、疫学の両面から、具体的な判断条件の整理を行うことができれば、水俣病の認定ならびに関連業務を円滑に行うことに役立つとして、水俣病認定検討会を設置し、熊本県、鹿児島県、新潟県の審査会の現委員や元委員らに水俣病の判断条件の検討を委嘱した。

昭和五二年七月一日、環境庁企画調整局環境保健部長は、右検討会の委嘱結果を受け、鹿児島県知事をはじめ各関係機関に対し、「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知を発し、医学の関係各分野の専門家による検討の成果を後天性水俣病の判断条件としてとりまとめたので、了知のうえ今後の認定業務の推進にあたり参考とされたいとして、次の内容の後天性水俣病の判断条件(以下「五二年判断条件」という。)を示した。

(一) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経疾患であって、次のような症状を呈するものであること。

四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害等をきたす例もあること。

これらの症状と水俣病との関連を検討するにあたって考慮すべき事項は次のとおりであること。

(1) 水俣病にみられる症状の組合わせの中に共通してみられる症状は、四肢末端ほど強い両側性感覚障害であり、時に口のまわりでも出現するものであること。

(2) (1)の感覚障害に合わせてよくみられる症状は、主として小脳性と考えられる運動失調である。また、小脳・脳幹障害によると考えられる平衡機能障害も多くみられる症状であること。

(3) 両側性の求心性視野狭窄は、比較的重要な症状と考えられること。

(4) 歩行障害及び構音障害は、水俣病による場合には、小脳障害を示す他の症状を伴うものであること。

(5) 筋力低下、振戦、眼球の滑動性追従運動異常、中枢性聴力障害、精神症状は、(1)の症状及び(2)又は(3)の症状がみられる場合には、それらの症状と合わせて考慮される症状であること。

(二) (一)に掲げた症状は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であると判断するにあたっては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるが、次の(1)に掲げる曝露歴を有する者であって、次の(2)に掲げる症状の組合わせのある者については、通常、その者の症状は、水俣病の範囲に含めて考えられるものである。

(1) 魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴

なお、認定申請者の有機水銀に対する曝露歴を判断するにあたっては、次の<1>から<4>までの事項に留意すること。

<1> 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)

<2> 有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期等)

<3> 居住歴、家族歴及び職業歴

<4> 発病の時期及び経過

(2) 次のいずれかに該当する症状の組合わせ

<1> 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。

<2> 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

<3> 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症状が認められること。

<4> 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症状の組合わせがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。

(三) 他疾患との鑑別を行うにあたっては、認定申請者に他疾患の症状のほかに水俣病にみられる症状の組合わせが認められる場合は、水俣病と判断することが妥当であること。また、認定申請者の症状が他疾患によるものと医学的に判断される場合には、水俣病の範囲に含まないものであること。なお、認定申請者の症状が他疾患の症状でもあり、また、水俣病にみられる症状の組合わせとも一致する場合は、個々の事例について曝露状況等を慎重に検討のうえ判断すべきであること。

4  その後、環境庁事務次官は、昭和五三年七月三日、「水俣病の認定に係る業務の促進について」と題する通知を発し、四六年事務次官通知の趣旨について、認定申請者が水俣病にかかっているかどうかの検討の対象とすべき全症状について水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症状が水俣病の範囲に含まれるというものであるとし、後天性水俣病の判断については、五二年判断条件に則り、検討の対象とすべき認定申請者の全症状について水俣病の範囲に含まれるかを総合的に検討し、判断するものとしていることは、当裁判所に顕著な事実である。

六  被控訴人主張の全身病説について

1  前示のとおり、審査会の審査は、四六年事務次官通知及び五二年判断条件に則り、その趣旨とする、水俣病像をもって、魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取することによって起こる中毒症神経系疾患であるとの前提にたって行われていると見て差支えない(なお、五二年判断条件は、本件処分後に発出されたものであるが、<証拠略>、控訴人が五二年判断条件をもって、四六年事務次官通知と同趣旨に受け取っていることが認められる。)。

2  これに反し、被控訴人は、水俣病は、中枢性神経系疾患に限局されるものではなく、肝臓、腎臓等の臓器系の障害、動脈硬化や脳血管障害等の循環器系の障害等の全身症状を発現する健康障害であって、「全身性疾患」として把握すべきであり(便宜上「全身病説」という。)、本件処分はその前提において失当であると主張する。そして、全身病説は白木博次教授の見解になるものであって、証拠(<証拠略>)によれば、同教授は、次のように説いている。

経口摂取されたメチル水銀は、全身の臓器、血管を循環するものであって、水俣病患者の剖検例で腹部臓器に高濃度のメチル水銀顆粒がみられることが実証されていること、水俣病の臨床及び病理を研究する学者によって、水俣病の臨床症状を有する患者に膵臓障害による血糖値の上昇例、水俣病患者の剖検例に膵臓のランゲルハンス氏島の脱落を観察した例が発表されていることのほか、水俣病罹患の子供にも脳動脈、心臓の冠動脈、腎臓の冠動脈に硬化がみられ、メチル水銀が一次的に直接脳動脈等を侵襲したか、或いは全身の代謝異常を来すことによって二次的に病変を来したかどうかはともかくとして、動脈硬化症等を起こすと考えなければその原因が考えられず、猿にエチル水銀を注射し、オートラジオグラムによるエチル水銀の分布を調べた実験結果も有機水銀が動脈硬化症を来すことを裏付けている、そして、有機水銀が、大脳皮質、小脳、末梢神経を侵襲する病理機序は未だ明らかでなく、障害個所の選択的好発局在性の原因も不明であって、有機水銀が動脈その他の全身の臓器の病変と全く無関係であるとは断じられず、一次的か、或いは代謝異常を介して二次的にかはともかく、動脈、全身の臓器に障害を来す可能性を否定しきれない。

3  全身病説の検討

(一) 病理学的検討

白木教授は、幼少児(四例)の病理解剖では、全例の脳動脈に結合織性の内膜肥厚を中核とする硬化性病変が必発していたとし、若年者(一九歳、一例)の病理解剖では、大脳皮質のクモ膜下腔の大小口径の脳動脈には、広汎かつバラエティに富む硬化性病変が多発していたとし、これらの結果から、この種の血管病変は、健康な対照例の幼少児にはまず見い出されない以上、それは明らかに異常であり、したがって、メチル水銀との密接な関連性を強く示唆していると述べ、また、一九歳の若年者であったにもかかわらず、脳動脈の硬化性病変は、きわめて顕著かつ広汎であり、明らかに異常であると述べている。

しかし、「幼少児内膜肥厚」「若年者の動脈硬化性病変」が正常健常者にみられないものかについてみると、吉田洋二教授は、人間の大動脈や中大脳動脈における内膜は、胎生五、六か月から肥厚し始め、生後、更に肥厚し続け、胸大動脈や腹大動脈においては、び慢性肥厚となる旨報告しており(<証拠略>)、沢田達雄講師は、高血圧の既往のある者を予め除外した胎児、新生児から三〇歳までの三八例についての研究の結果、生後三日及び生後一一日の二症例に既に内膜肥厚がみられ、一歳から四歳までの群では二例中全例についてその中大脳動脈主幹部の内膜肥厚がみられた旨報告しており(<証拠略>)、また、長嶋和郎教授は、水俣病でない若年者の脳の器質的障害のある四〇例を検討した結果、一歳から既に内膜肥厚が認められ、一歳から一八歳までの四〇例中二〇例に軽度ないし中等度の内膜肥厚が認められたとした上、白木が若年者水俣病で注目する血管の同心円状内膜肥厚を示す病変も一〇例に認められた、この動脈病変は有機水銀とは無関係に生ずることは確かであろうと報告しており(<証拠略>)、更に、桜井勇教授らは、東北、関東の一八施設から提供された新生児から四〇歳までの男女別剖検例について、その大動脈と冠動脈を病理学的に検討した結果、冠動脈では乳児期でさえもかなり強い内膜肥厚を示す例があり、大動脈と比較すると著しく内膜肥厚は強い傾向にあると報告している(<証拠略>)等、水俣病に罹患していない幼少児や若年者の血管にも内膜肥厚や動脈硬化性病変が少なからず認められることについて多数の報告があることに照らすと、これをもって、水俣病患者に特異的な病変とはいえないというべきである。なお、水俣病に罹患していない幼少児や若年者の血管にも内膜肥厚や動脈硬化性病変が少なからず認められたとする研究報告について、これらは、ごく最近の小児の過栄養状態に起因する特有な現象であって、過去には右のような現象は認められなかったとして、右のような研究結果等をもってしても、白木教授の研究結果を否定する資料とはなし難いとする見解もないではないが、瀬黒俊夫らは、既に昭和一四年に生後三日から二〇歳までの幼少児・若年者における各臓器の血管病変の検索を行っており、その結果、当時においても、幼少児・若年者の諸臓器の小動脈及び細小動脈にアテローム(脂肪、脂肪酸素、コレステリン等からなるドロドロした粥状の物質)様ないし動脈硬化性の病変が広く認められる旨報告しているのであって(<証拠略>)、右報告からすると、最近の小児の過栄養状態に起因する特有な現象ということでもないようである。

(二) 臨床医学的検討

臨床医の活動の目的は、患者に対して自らの知識と経験に基づき、患者の有する症状の原因を究明し治療を行うことによりその原因を除去し、症状を消失・緩和させることにある。ある患者の原因を究明するために、様々な検査が患者に対して施されるのも、こうした臨床医の活動の目的に合致するからである。例えば、動脈硬化が疑われれば、動脈を最も観察し易い眼底を検査し、糖尿病が疑われれば、尿糖の有無あるいは糖を負荷した試験(GTT)等を行うがごとくである。水俣病患者についても同様にその発生以来今日まで多くの臨床検査所見の把握がされてきており、原因確定のされていない初期の段階においてはなおさら詳細にこれら所見の把握に努めてきたことは公知の事実である。

したがって、水俣病が全身疾患であることが仮に事実であるとすれば、生体に何らかの影響が現れ、これが臨床医の目にとまるはずであるから、以下この観点から検討するに、岡嶋透教授らは、昭和四六年から昭和四九年にかけて実施された水俣湾周辺地域及び有明海・八代海沿岸地区住民健康調査並びに昭和五二年以降の検診結果を基にして、水俣病における血圧及び糖尿の検討を行った結果、まず、前者の住民健康調査を基にすると、汚染地域(水俣湾周辺地域)と非汚染地域(有明海・八代海沿岸地区)との間には、高血圧及び糖尿のいずれについても有意差がないことが明らかになった旨報告しており(<証拠略>)、更に、後者の昭和五二年以降の検診結果を基に、ハンターラッセル症候群を呈する群(A群)、後天性水俣病の判断条件に該当する群(C群)、A群とC群の中間の群(B群)、右判断条件に該当しない群(D群)に分けて、高血圧と糖尿病について検討したところ、右四者の間に有意差がないか、又はA群ないしC群の方がD群よりも低いという結果が得られた旨報告しており(<証拠略>)、井杉昭弘鹿児島大学教授らは、昭和四六年から昭和四九年にかけて、鹿児島県の不知火海沿岸住民の一斉健康調査の研究を行い統計学にいう多変量解析の手法を用いて、眼底動脈の硬化度と水俣病との相関について検討した結果について、もし動脈硬化がメチル水銀によって影響を受けるなら水俣病の因子、変形性脊髄症の因子(加齢の因子)が臨床上何らかの関係を示すはずであるが、両因子とも眼底動脈の硬化度と無関係に分布し関連性を示していないと報告し、少なくともメチル水銀が動脈硬化を積極的に促進するという根拠は得られなかったと述べており(<証拠略>)、また、井杉昭弘教授らは、鹿児島県出水地方に居住する七八〇名について精密検査を行った結果、水俣病群(六五名)、非水俣病群(七一五名)の間に、高血圧に関して有意差がみられないことを報告しており(<証拠略>)、更に、白川健一教授は、一〇〇例について糖負荷試験を実施した結果、水俣病認定患者群の一一・八パーセントに、非認定水俣病患者群の二五パーセントに異常がみられ、水俣病患者に耐糖能低下傾向は認められなかった旨報告している(<証拠略>)等、高血圧や糖尿病等の出現頻度は特に水俣病において高くないことについて多数の報告があることに照らすと、白木教授の見解は、いまだ臨床医学的観点から検証されているとはいえないというべきである。

(三) 疫学的検討

野村茂教授らは、水俣市域を水俣病多発地区、市街部及びその周辺地区、内陸農山村地区に三分し、昭和二五年から昭和四四年までの二〇年間の人口動態指標を観察した結果、多発地区は市街地区に比して、乳児死亡率、死因構造ともに有意の差をみたが、山間地区との間には昭和二五年代に死因未確定及び胃炎・腸炎による死亡率が有意に高い他には、特別の差異は認め難かった旨報告し(<証拠略>)、玉城英彦らは、水銀汚染地域住民の健康被害に関する追跡調査の一環として、熊本県水俣病認定患者の全死亡者(三七八人、昭和五五年一二月現在)の死亡構造について解析を行った結果、患者群では、原死因、二次死因及び複合死因として中枢神経系の非炎症性疾患及び肺炎の死亡割合が、対照群に比べて有意に高いのに対し、悪性新生物、高血圧疾患では逆に患者群に有意に低い傾向が認められた旨報告し(<証拠略>)、更に、野村茂教授らは、昭和二三年から昭和四六年までの二四年間における死亡届を分類し、水俣地区、御所の浦地区及び対照地区である有明地区の間で比較を行った結果、高血圧性疾患、心疾患、脳血管疾患、胃炎、ネフローゼ、精神障害のいずれについても、右三地区で有意差は認められなかった旨報告している(<証拠略>)等、むしろ、前示岡嶋透教授、井杉昭弘教授らの臨床医学的研究結果と整合性を有する多数の研究報告があることに照らすと、白木教授の見解は、いまだ疫学的観点からも検証されているとはいえないというべきである。

(四) 実験的検討

白木教授の行った猿のオートラジオグラムの実験は、エチル水銀投与後の動物体内での臓器別の体内分布を経時的に研究していこうとするものである(<証拠略>)。この点に関し、高橋等教授は、メチル水銀は、肝や腎に高い分布を示し、また血中の血球には非常に多いが血漿には少なく、脳への水銀の蓄積は肝や腎におくれて数日後にピークを示してくることが特徴的であり、メチル水銀を投与して、その脳内濃度が次第に上昇し、脳全体で約一〇PPM程度に達すれば、致命的な脳神経障害が発現するというのは、多くの学者の一致した見解であるが、肝や腎については、脳の神経細胞が侵されてしまう量の少なくとも一〇倍位のメチル水銀が肝・腎に蓄積した時期があるにもかかわらず著変はみられない旨報告しており(<証拠略>)、この報告によれば、毒物としてのメチル水銀は、体内に広く分布しているにもかかわらず、極めて特異的に神経系を障害する神経毒であるということになり、単にメチル水銀が心筋や大動脈に侵入する事実を示すオートラジオグラム実験をもっては、メチル水銀が血管系の機能的及び器質的障害をもたらし、全身の循環障害を起こすと考える根拠にはなり難いというほかない。

(五) 小括

右に検討してきたところによれば、全身病説は、それ自体が医学に深い造詣を有する研究者の水準の高い研究の成果、見識であり、現段階においても、解明し尽くされていないとされる水俣病像を把握するにあたって、これに注意深く耳を傾ける必要があることはいうまでもないが、他方現段階における医学的知見を踏まえると、メチル水銀が神経細胞を侵襲する以前に、直接血管壁に作用する事実は存在しないこと、内膜肥厚を伴った硬化性病変は、正常な幼少児、若年者にも比較的多く見られる所見であること、また、これら病変は、過栄養状態にない者においても見られること、水俣病患者と、非水俣病患者の間で、高血圧、糖尿病、動脈硬化症等の出現頻度には差がみられないことが明らかになっているとされている。これらを総合すると、全身病説は、病理学、臨床医学及び疫学の各側面からみて医学的に説明し難い疑問が存するとされるのみならず、実験的検討結果とも整合しないというのであるから、この見解は、現段階においては、いまだ一仮説にとどまるとみるほかない。

そうすると、審査会が、本件審査にあたり全身病説をとらなかったからといって、違法ということはできない。

七  審査会の認定基準の検討

次に、審査会が依拠する四六年事務次官通知及び五二年判断条件の趣旨とする、水俣病像をもって、魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取することによって起こる中毒症神経系疾患であり、その典型症例は、臨床的には感覚障害、運動失調(構音障害を含む)、求心性視野狭窄、中枢性聴力障害等を呈する症候群であり、一方非典型症例では、右症状がすべてそろっているとは限らず、通常いくつかの組合わせが出現すると把握する考え方(便宜上「神経疾患説」という。)が、本件処分時における水俣病像及び水俣病の診断に関する医学的知見に照らし、救済法による水俣病の認定基準とするについて、不合理な点がないかについて検討する。

1  水俣病像に関する知見

(一) 熊本大学医学部水俣病研究班の研究成果

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。即ち、昭和三一年五月、熊本県水俣市において水俣病の発生が初めて公式に確認された。当初、原因不明の疾患とされたが、熊本大学水俣病研究班によって、臨床、病理、疫学等各種の研究が行われ、ハンターらの報告と照らし合わせるなどして、この疾患の本体がメチル水銀中毒症であると解明されるに至った。そして、右研究班の研究成果は、昭和四一年三月に「水俣病―有機水銀中毒に関する研究―」(いわゆる赤本。以下「赤本」ということがある。)として集大成されているが、これに収録された論文は、当時における水俣病の研究の到達点を示すものといえる。

(1) 野村茂教授は、赤本に収録された「水俣病の疫学」(<証拠略>)の中で、一一一例の水俣病患者について、罹患率、致命率及び予後をまとめているが、その中で、水俣病の臨床像について、「本疾患は、発熱など一般症状を欠き、多くは緩徐に、稀に急劇に発症する。患者はまず四肢末端の知覚異常、口囲のシビレ感を訴え、数週の間に本疾患の典型的な諸症状が出現する。運動失調、すなわち、動揺性の酩酊様の歩行障害、震頭、書字障害、不随意運動などの共同運動障害、特異な言語障害等は本疾患の顕著な症状である。また、求心性視野狭窄、難聴、嚥下障害などの特異的な症状が同時にあるいは前後して現れ、増悪し、半年位の期間で極期に達する。」としている。

(2) 徳臣晴比古教授は、赤本に収録された「成人の水俣病」(<証拠略>)の中で、三四例の水俣病患者について症状を詳細に分析し、水俣病患者の各症状別にその出現頻度を求め、「求心性視野狭窄、難聴、言語障害、歩行障害、日常諸動作の拙劣などの運動失調、知覚障害、振戦(特に企図振戦)、軽度の精神障害などは七〇~一〇〇パーセントに出現し、筋強直、強剛、不随意運動などは八~二〇パーセントに、発汗、流涎などの自律神経症状は二三パーセントに認められた。腱反射は三八パーセントが亢進、八・八パーセントが減弱を示し、その他は正常であった。なお麻痺は一例も認められなかった。」としている。右、集計結果を基に、徳臣は「水俣病の症状は小脳症状を中心とし、一部錐体路、錐体外路症状、大脳皮質症状、末梢神経症状など多彩な症状を示していたが、水俣病固有の症状群が認められた。」とまとめている。

(3) このように、野村、徳臣らの研究報告における水俣病患者の症状は、ハンター・ラッセル症候群にほぼ一致していることが明らかであり、逆に、このことにより、水俣病の本体がメチル水銀中毒症であるとしても、臨床的に矛盾がないことがより明確になったといえる。即ち、赤本がまとめられた昭和四一年当時は、水俣病像はハンター・ラッセル症候群のほぼそろった者を中心としてとらえられており、前記の徳臣の研究に集約される。したがって、右当時、そのような典型的な水俣病患者以外に同症候群のうち幾つかの症状を呈するにすぎない、いわゆる不全型の水俣病というものも存在するのではないかという医学的な提言はされておらず、地元の医師らによっても、水俣病患者がなお存在しているとか、水俣病とは判断できないにしてもそれと類似した患者がなお多数存在しているといった特段の報告はされていない。逆に、昭和四〇年当時、水俣病の発生は終息したと考えられており、前記野村教授の「水俣病の疫学」には、「第一例は、昭和二八年一二月一五日発症、昭和三五年一〇月九日の発症例を最後としている。患者は、昭和二九年、三〇年と多発し、三一年に至って激増をしめしている。三二年、三三年に発生数少なく、三四年に再び多発し、三五年に若干の発生をみて後、本疾患の流行は終息している。」と記されている。

(二) 新潟水俣病の研究

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。昭和四〇年一月に新潟大学医学部において一例の水俣病患者が発見され、次いで同年四月及び五月に各一例の患者が発見され、同年の五月には新潟大学の椿教授らが新潟県に対して、「阿賀野川流域に有機水銀中毒患者が発生している。」旨の報告を行った。これを契機として、新潟大学を中心とする「新潟県有機水銀中毒研究班」により、直ちに原因解明の研究が開始され、また、同年九月には厚生省に「新潟水銀中毒事件特別研究班」が発足した。この研究調査に際して、椿教授らは、必ずしも従来の水俣病の概念にとらわれることなく、患者の実態ないし発生状況の調査に際し、まず診断基準をつくり、それに合致するものを集めるのが、このような調査の定石であるが、中毒にはごく軽症のものから定型的なものまで、いろいろの段階のものがありうるとの考えから、ごく初期には診断基準の枠をはめることを避け、疑わしいものを広くすくいあげ、この中から共通の症状をもつものを選び、これと並行して診断要項を設定するという方法をとったと説明している。椿教授らは、右の姿勢で水俣病患者の発掘に臨み、昭和四〇年六月から系統的な患者発生状況の調査が開始され、阿賀野川下流の患者発生地区の全住民四一二戸二八一三名について、自覚症状の有無、川魚摂取状態、農薬の使用状況、飲料水、死亡者の死亡状況、動物の異常等の聞き取り調査が行われ、自覚症状のある者等については診察が行われた。さらに、患者発生地区周辺の三八一九戸一九八八八名については、保健婦により同様の第二次個別調査が行われ、その結果を受けて、有症者、患者家族、川魚多量摂取者、対照者など合計三〇〇名の毛髪水銀量が測定された。また、患者発生地区付近の病院、診療所に該当する患者の有無の確認が行われ、患者多発集落における近時の死亡者の死亡状況の調査も行われた(第一回一斉検診)。右調査により発見された患者や症状がなくとも毛髪水銀量が二〇〇ppmを超える者はすべて新潟大学医学部附属病院に入院となり、臨床検査と治療が行われた。椿教授らは、右調査により二六名を水俣病患者と認めた。その症状の出現頻度を徳臣教授の報告と比較すると、顕著な差があり、ハンター・ラッセル症候群がそれほどそろっていない者まで拾い出している。

(三) 公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会の研究

証拠(<証拠略>)によれば、救済法施行令の制定にあたって、「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」(有機水銀関係の委員は、貴田丈夫熊本大学教授、椿忠雄新潟大学教授、徳臣晴比古熊本大学教授、三国政吉新潟大学教授の四名)が設けられ、政令におり込む疾病の名称、診断上の留意事項について検討を行い、昭和四五年三月、大要次のような報告をしている事実が認められる。

(1) 政令におり込む病名として「水俣病」を採用するのが適当である。水俣病の定義は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経疾患とする。また、水俣湾沿岸における水俣病と新潟県阿賀野川沿岸における有機水銀との相互関係については、疫学、臨床、病理、分析等の所見から同一であり、同一病名で統括することができる。水俣病という病名は、我国の学会では勿論、国際学会においてもMinamata Diseaseとして認められ、文献上もそのように取り扱われている。

(2) 後天性水俣病についての診断上の留意事項

<1> 有毒魚介類摂取の機会があったこと

<2> 臨床所見

通常初期に四肢末端、口回りのしびれ感にはじまり、漸次拡大するとともに、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等をきたす。また、精神障害、振戦、痙攣その他の不随意運動、筋強直等をきたす例もある。主要症状は、求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む)、難聴、知覚障害であるから、特にこれらに留意する。

<3> 検査

必須の検査 視野(ゴールドマン視野計による)、眼底、精密聴力検査

必要に応じて行うべき検査

水銀量測定(毛髪、血液、尿)、筋電図、末梢神経生検

<4> 類似疾患の鑑別

糖尿病等による末梢神経障害、動脈硬化症、頸部脊椎症による脊髄末梢神経障害、心因性症状等を除外しなければならない。このため、必要に応じて次の諸検査を行う。

頸部X線検査、脳波、検尿、検血、肝機能検査、腎機能検査、髄液検査、CRP等

(四) 一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的及び病理学的研究

調査研究の概要

証拠(<証拠略>)によれば、熊本大学では、熊本県の援助の下に一〇年後の水俣病研究班が組織され、昭和四六年から、神経内科、小児科、神経精神科、眼科、耳鼻咽喉科、生化学科、病理の各部門につき、一〇年後の水俣病の調査研究が行われ、昭和四七年三月及び昭和四八年三月に、それぞれ報告書が作成されていること、熊本大学医学部神経精神医学教室の立津教授らは、右一〇年後の水俣病研究班の研究の一環として、不知火海沿岸の一部地区の住民三五五五人の健康調査を実施し、有機水銀中毒症の有病率、障害の重さ、症状の形態等を追究し、その結果として、神経精神症状の出現頻度、水俣病の臨床的診断基準としての症状の組合せ等を取りまとめている。

(五) 水俣病患者の神経症候の長期追跡結果

熊本大学医学部第一内科学教室の徳臣教授と岡嶋助教授は、昭和四八年四月に水俣病患者の神経症候を一〇年間追跡した結果を報告しているが(<証拠略>)、これによれば、表在知覚障害と他の症状の関連について検討して、「知覚障害がないか、あるいは軽い症例においても、中枢障害が広範に残存していることを示すもので、発症後一〇年の現在においても、求心性視野狭窄は、聴力障害とともに、本症の他覚的所見としてもっとも重要なものということができる。さらに有機水銀中毒、殊に、その慢性期において、純粋に末梢神経障害のみを呈する型(末梢神経炎型)の存在は、非常に少ないのではないかと感じるのである。」とされ、さらに「すなわち発病当初の状態を明らかにし得ない症例において、現在中枢神経障害が認められず、末梢神経症状のみを呈する症例については慎重に対処しなければならないと考える。」としている。以上によれば、徳臣教授と岡嶋助教授は、水俣病の診断は、基本的には症状の組合せによって判断すべきことを前提にして、その際の具体的診断基準として、中枢神経障害が認められず、知覚障害のみを呈しているものについては慎重に対処すべきであるとしていたことが明らかである。

(六) 椿教授らによる新潟水俣病の診断要項の確立

証拠(<証拠略>)によれば、椿教授は、昭和四五年一〇月から実施した阿賀野川上・中流を含む流域住民についての第二回一斉検診の結果をも踏まえ、新潟水俣病の調査研究における経験を基に、新潟水俣病における診断要項を次のようにまとめている。

(1) 神経症状発現以前に阿賀野川の川魚を多量に摂取したこと

(2) 頭髪(または血液、尿)中の水銀量が高値を示したこと

(3) 次の臨床症状を基本とすること。但し、次の四症状すべてを具備しなければならないというわけではない。また、感覚障害は最も頻度が高く、特に四肢末端、口囲、舌に著明であること、またこれが軽快し難いことを重視する。

<1> 感覚障害(しびれ感、感覚鈍麻)

<2> 求心性視野狭窄

<3> 聴力障害

<4> 小脳症状(言語障害、歩行障害、運動失調、平衡障害)

(4) 類似の症候を呈する他の疾患を鑑別できること

そして、椿教授(<証拠略>)は、右診断要項について触れ、「水俣病の診断を個々の症状の組合わせでみるのは誤りであるとの論議があるが、それは別の観点からものをみているのであって、現実の患者を個々の症状の組合わせでみることを排除した場合、水俣病患者は存在し得ないことになろう。そこで水俣病の個々の症状はありふれたものであれば、そこに要求されることは、類似した多くの神経疾患をいかにして鑑別すべきかということであり、それには高度の神経学的知識が要請される。」と述べている。

(七) 鹿児島県における水俣病の研究

証拠(<証拠略>)によれば、鹿児島大学教授井形昭弘らは、昭和四六年から昭和四九年にかけて出水市全域を含む有機水銀汚染地域の住民約八万名を対象として一斉検診を実施し、その第三次検診を受けた中の二七八名(六四名の水俣病患者あるいはその疑いの者を含む。)の検査所見に基づいて水俣病の多変量解析による診断の可能性について分析、検討し、水俣病の臨床症状は、同じく各種神経症候を有するその他の疾病と異なった現れ方をしており、大部分の症例においては症状の組合せにより明確に他の疾病と鑑別し得ること、一症状だけによって水俣病をとらえることは困難であること、一症状だけしかないため他の神経疾病と鑑別困難な事例は非常に少ないことが明らかにされていることが認められる。

(八) 眼科における研究成果

証拠(<証拠略>)によれば、熊本大学教授筒井純らは、水俣病患者七六例について眼球運動眼電位図の検査を行い、水俣病患者には、滑動性追従運動及び衝動性運動の異常が高率に出現することを見いだし、剖検所見等によってその発生機序を解明することにより、眼球運動異常が水俣病の診断に当たって有用であることを明らかにし、このことを昭和四六年ころから発表している。

(九) 耳鼻咽喉科における研究成果

証拠(<証拠略>)によれば、新潟大学医学部の猪初男らは、新潟水俣病の患者等について神経耳科学的な平衡機能障害の所見を検討し、その中で視運動性眼振所見において水平性、垂直性ともに両側抑制・中絶が多く、特に垂直性刺激で異常摘発率が高く、水銀中毒の影響とも相関していること、他覚所見として記録分析が可能であり、かつ、神経症状とよく相関していることを明らかにしていることが認められる。

(一〇) 原田医師の研究

原田医師は「潜在性水俣病」(<証拠略>)と題する論文の中で、「広汎かつ濃厚な汚染があったこと、患者発生時期を再検討すべきこと、水俣病の概念について従来のハンター・ラッセル症候群を中心とした狭い概念ではなく、メチル水銀が人体にどこまで、どのような障害を及ぼしているかという実態を明らかにする目的を持った概念を立てるべきであること、認定されていない水俣病が存在すること、症状のとらえ方に問題があることなどを取り上げて、病気の全貌はまだ明らかにされていないとして、早急に徹底した実態調査を行うべきであること、長期にわたる住民の健康管理が必要であること、すみやかに水俣湾内の水銀を除去すべきであること」等を提案しており、「長期経過した水俣病の臨床的研究」(<証拠略>)と題する論文の中で、水俣病患者の症状の一〇年の経過と患者家族の持つ神経精神症状について分析し、「水俣病は固定的にあるいは単一的にとらえることなく、その症状も経過も予後も非常に多様であるから、今後長く、この汚染された住民がどのような運命をたどるか、合併症の問題なども含めて追跡していかなければならない。」と述べ、「一六年後の水俣病の臨床的・疫学的研究」(<証拠略>)と題する論文の中で、「第一に、水俣病の主要症状はやはり、末梢性知覚障害、求心性視野狭窄、共同運動障害、構音障害、聴力障害のハンター・ラッセル症候群とよばれる症候群であること、第二に、その各症状の組合わせや程度、さらにその他の症状の種類はさまざまで多彩であり、知覚障害のみという例もあったとし、これらの例は四肢の末梢性知覚障害、さらには口周辺の知覚障害という特徴を示し、多くは、一般の対照者にもある頻度でみられるような、神経学的に障害とはっきり断定できない程度のものではあるが、ごく軽い構音障害や共同運動障害などの痕跡的な症状がみられるものであり、したがって、ある意味において全く知覚障害のみの水俣病は多くはなく、どこまで細かい症状をみるかによるのである。」と述べていることが認められている。

2  右認定事実を総合すれば、本件処分時に水俣病像及びその診断に関し、昭和三一年の水俣病の公式発見後、当初、ハンター・ラッセル症候群を基本として水俣病患者の把握が行われ、新潟水俣病が発見されるまでは、ハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に具備したものでない不全型の水俣病の存在を指摘する特段の報告はなかったこと、昭和四〇年に新潟県阿賀野川流域の住民に水俣病が発生したが、その解明に当たった新潟大学の椿教授は、熊本水俣病の経験を踏まえ、水俣病患者の発掘に際して、診断基準の枠をはめず、疑わしいものを広くすくいあげ、この中から共通の症状を探るという方針を採用し、これに基づいて独自の水俣病の診断要項をまとめたこと、椿教授の見解は、ハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に備えたものでない患者でも水俣病と診断し得るとしたものであること、救済法の制定を契機とする「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」による検討結果は椿教授らの研究成果をとりいれたものであり、ハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に備えたものでない患者でも水俣病と診断し得るとしていること、昭和四六年から昭和四八年にかけて行われた一〇年後の水俣病研究班による調査研究においても、神経症状の組合せを基本としてメチル水銀の影響を検討していること、椿教授による水俣病の診断要項の確立、原田医師による研究を通じてみても、水俣病の診断は神経症状の組合せを基本としていること、更に、徳臣教授らの水俣病患者の長期追跡、井形教授らの多変量解析による水俣病の分析においても、水俣病の診断は症候の組合せによるべきであるとされていること等の医学的知見が存したことがあきらかである。

そうすると、本件処分時における水俣病像及び水俣病の診断に関する医学的知見としては、ハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に備えたものでない、いわゆる不全型の患者でも水俣病と診断し得るが、一症状で水俣病と診断することは困難であって、そのためには主要症状の組合せによる必要があるとされていたというべきであるから、これに沿う四六年事務次官通知及び五二年判断条件は、それ自体不合理であると評価することはできない。もっとも、原田医師の研究、原、当審証人原田正純の証言では、感覚障害だけでも水俣病と診断し得るとする例が挙げられているが、四六年事務次官通知、五二年判断条件は、一症状のみのもので、医学的に水俣病の蓋然性が高いものを水俣病と判断することを全く否定しているわけではないから、右研究、証言によっても、その評価が左右されることはない。

3  その後の医学的知見による判断条件の確認

(一) 福岡高裁判決

福岡高等裁判所昭和六〇年八月一六日言渡の水俣病第二次訴訟控訴審判決は、症状の程度に応じた損害賠償請求権の成立を肯認するにあたり、「遠位部優位の手袋・足袋様の知覚障害は、水俣病に特徴的な症状であるから、この知覚障害しかなくても、疫学条件が極めて高度と認められれば、反証のない限り、水俣病と認定できる。」「五二年判断条件は、いわば協定書に定められた補償金を受給するに適する水俣病患者を選別するための判断条件となっているものと評せざるを得ない。したがって、五二年判断条件は、広範囲の水俣病像の水俣病患者を網羅的に認定するための要件としては、いささか厳格に失しているというべきである。」と説示した。

(二) 専門家会議見解

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。環境庁は、右判決を契機として、熊本大学医学部教授荒木淑郎、鹿児島大学医学部教授井形昭弘、大分医科大学教授岡嶋透、国立武蔵療養所センター長里吉栄二郎、国立療養所中部病院長祖父江逸郎、東京都立神経病院長椿忠雄、東京都立養育院附属病院長豊倉康夫、水俣市立明水園長三嶋功の八名からなる「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議」(座長祖父江逸郎)を設けて、現時点における水俣病の病態及び五二年判断条件が医学的に見て妥当なものかどうかについて諮問した。これに対し、同会議は、その検討の結果を「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」として取りまとめ、昭和六〇年一〇月五日報告した。右報告は、「後天性水俣病の典型例は、臨床的には感覚障害、運動失調(構音障害を含む)、求心性視野狭窄、中枢性聴力障害等を呈する症候群である。一方、水俣病の非典型例では、上記の症状がすべてそろっているとは限らず、通常、そのいくつかの組合わせが出現する。」とした上で、水俣病における感覚障害の解釈について、「水俣病においては、ほとんどの症例で四肢の感覚障害が他の症状と併存しつつ出現するが、感覚障害のみが単独で出現することは現時点では医学的に実証されていない。他方、単独で起こる四肢の感覚障害は、極めて多くの原因で生じる多発性神経炎の症状であり、臨床医学的に特異性がないし、また、四肢の感覚障害は、現時点で可能な種々の検査を行っても、その原因を特定できない特発性のものも少なくない。したがって、四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症状が水俣病であると判断するには医学的には無理がある。」とし、判断条件について、「臨床医学的診断は、疾患特異性のある症状や特異的な検査方法がない疾患の場合には、症状の現れ方、その経過、いくつかの症状の組合わせにより判断の蓋然性を高めるという方法がとられるのが一般である。水俣病では、各個の症状については特異性がみられないので、その診断にあたっても、この原則によらなければならない。したがって、現行判断条件は、水俣病の医学的判断にあたっては、曝露歴を前提とし、症状の組合わせを高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるとしている。現行判断条件は、一症状のみのもので、医学的に水俣病の蓋然性が高いものを水俣病と判断することを全く否定しているわけではないが、一症状のみの例がありうるとしても、このような例の存在は臨床医学的に実証されてはおらず、現在得られている医学的知見を踏まえると、一症状のみの場合は水俣病としての蓋然性は低く、現時点では現行の判断条件により判断するのが妥当である。なお、水俣病と診断するには至らないが、医学的に判断困難な事例があるとの意見があった。」という見解(以下この見解を「専門家会議見解」という。)を表明し、その後の医学的知見によっても、五二年判断条件は相当であることを確認している。

(三) 中央公害対策審議会の答申

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。中央公害対策審議会は、環境庁長官の諮問を受けて、平成三年一一月二六日に「今後の水俣病対策のあり方について(答申)」をまとめた。同答申においては、水俣病の診断について、「水俣病はメチル水銀が原因であるが、メチル水銀による身体への障害を特異的に把握する手法は確立されていない。水俣病では種々の神経症状を呈するが、それらの個々の症状はメチル水銀によってのみ特異的に生じるものではなく、他の原因によっても生じるものである。しかし、臨床的には水俣病の症状の出現には一定の傾向があるので、幾つかの症状の組合せによる症候群的診断が可能である。」とした上で、五二年判断条件等について、「これらは医学的な知見を基に取りまとめられたものであり、臨床上の診断基準の性格も持つものである。」「現在までの研究では、これら判断条件に変更が必要となるような新たな知見は示されていない。」として、五二年判断条件は相当であることを確認している。

(四) 検討

救済法は、四六年事務次官通知に示されているように、因果関係の立証や故意過失の有無の判定等の点で困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、当面の応急措置として緊急に救済を要する健康被害に対し、特別の行政上の救済措置を講じることを目的として制定されたものであり、救済法三条の規定に基づいて県知事の行った認定に係る行政処分は、ただちに当該認定に係る指定疾病の原因者の民事上の損害賠償責任の有無を確定するものではない。また、審査会は、認定審査に際し、認定申請者の当該疾病が医療を要するものであれば、その軽重を考慮する必要はなく、専ら認定申請者の疾病が指定地域に係る水質の汚濁の影響によるものであるか否かを判断すれば足りるものである。

前示のとおり、昭和四八年三月二〇日の熊本水俣病第一次訴訟の後に、チッソと水俣病被害者団体との間において、救済法、補償法に基づく水俣病の認定を受けた者に一定の補償を行う、協定内容は協定締結後に認定された患者についても適用する旨の補償協定が締結されたことを受けて、審査会による水俣病の認定審査とそれに基づく認定は、制度上の建前とは別に、現実には、水俣病患者のうちチッソから補償金を受けることのできる者と、そうでない者と選別する機能を営んできたものといえる。加えて、チッソの経営が危機的状態に陥ったことから、補償金の支払に支障を生じるおそれがある状態になり、熊本県が県債を発行してチッソに貸付けること等の金融支援措置を行う方法により、チッソの補償金の支払は公的資金を導入して行われているという現状において、認定申請者の症状が比較的軽症になっていくにつれて、このような事情が、救済法、補償法の本来の認定業務に影響を及ぼす社会的阻害要因として作用したことは否定し難いところである。

更に、昭和三一年に水俣病は公式に発見されたが、水俣病の前に水俣病はなく、当初、研究者と行政の精力は、原因物質及び原因者の特定に向けざるを得ず、その過程でハンターらの研究報告と照らし合わせ、水俣病の疾患の本体がメチル水銀中毒症であると解明されるに至り、新潟水俣病が発見されるまでは、ハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に具備したものでない不全型の水俣病の存在を指摘する特段の報告はなかったこと、三五年に水俣病終息説がでるに及んで疫学的見地からの広範な追跡調査も行われず、このため、熊本水俣病にあっては、その後も、ハンター・ラッセル症候群を具備した水俣病像の観点から、いわば演繹的手法により、水俣病に接近する傾向を生み出し、これらの事情もまた、広範囲の水俣病像の水俣病患者を網羅的かつ早期に救済することを妨げたのではないかとの疑問を払拭することはできない(このことは、昭和四〇年に発見された新潟水俣病にあっては、熊本水俣病の経験を踏まえ、いちはやく阿賀野川流域住民の毛髪水銀値の測定を含む一斉健康診断が実施され、患者の発掘に際しては、診断基準の枠をはめず、疑わしいものを広くすくいあげ、この中から共通の症状を探るといういわば帰納的手法が採用され、これに基づく水俣病の診断要項がまとめられ、当初からハンター・ラッセル症候群のすべての神経症状を完全に備えたものでない患者でも、水俣病と診断し得るとされたことと比較して対照的である。)。

長く、熊本県審査会、鹿児島県審査会の各委員を務めた当審証人荒木叔郎は、「何回診ても分からない例は保留になる。そういうことは行政でやったらどうかといったことがある。認定即賠償ということにつながっており、慎重にという声も起こってきており、私達が自信をもって水俣病という方達が賠償の対象になっており、そうでない人は結果的に保留になっている。だから、どんどん保留が増えてきた。」と証言しており、この間の事情を垣間見ることができる。

(五) このように見てくると、四六年事務次官通知、五二年判断条件は、医学的知見に合致しており、それ自体不合理であるとは到底いえない。また、四六年事務次官通知、五二年判断条件は、疫学条件の存在を前提として、一症例のみのものでも、医学的に水俣病の蓋然性が高いものを水俣病と判断することを全く否定しているわけではないから、前記福岡高裁判決は、右に見た審査会の運用に疑問を呈したものと読むのが相当である。そうすると、前示特別医療事業は、認定申請者の疫学条件と医学的所見を総合しても、四肢の感覚障害を有するだけでは、水俣病の蓋然性が低いために、補償法による救済の対象にならない人々に対し、水俣病の可能性の程度に応じて新たな行政上の救済措置を設けたものと評価される。

八  救済法による水俣病の認定

1  前示のとおり、救済法は、因果関係の立証や故意過失の有無の判定等の点で複雑困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、緊急に救済を要する健康被害に対し、民事責任とは切り離した行政上の救済措置を施すことを目的として制定されたものであり、補償法は、救済法による給付内容の拡大を図ることを目的として制定されたものである。救済法による水俣病の認定の目的は、同法の定める受給資格の有無を判定することにあるのであるから、認定申請者が水俣病に罹患しているか否かの判断においては、臨床医学上の知見に照らして、認定申請者が水俣病に罹患していると明確に診断し得る場合はもちろん、そのような明確な診断に至らない場合でも、相応の医学的知見に照らし、水俣病の疑いがあるとされる事例については、これを水俣病と認定するのがその立法趣旨に適合するものといえる。

2  <証拠略>によれば、右にいう水俣病の疑いとはどの程度のものをいうのかに関して、昭和四七年三月一〇日、当時の大石武一環境庁長官は、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会において、水俣病の認定に関し、「私が疑わしき者は救済せよという指示を出したのでございますが、これは一人でも公害病患者が見落とされることがないように、全部が正しく救われるようにいたしたいという気持ちから出したのでございます。ただし、疑わしきは救済せよということは、疑わしいということは、これは御承知かと思いますが、医学的な用語と普通俗に世間で使うことばとは内容が違います。疑わしいというよりも、まず、八〇パーセント怪しいとか九〇パーセントそうらしいとか、あるいは二、三パーセントしか怪しくはないけれどもあいつは怪しいんだというように、ピンからキリまでございます。しかし、医学的には、そういうものは三パーセントとか一〇パーセントというものは疑わしいという範囲には入りません。まず、五〇パーセント、六〇パーセント、七〇パーセントも大体こうであろうけれども、まだいわゆる定型的な症状が出ておらぬとかなんとかいうような、そういうものが疑わしいという医学用語になるわけでございます。私の使っております水俣病の場合の疑わしいというのは、そのような医学的根拠を土台としたわけでございますが、それが一般にはどうも誤解されまして、何でもかんでも片っ端から患者とみてしまえというようなうわさが流れたのは残念でございますが、私の判断はそのような判断でございます。」と答弁していることが認められる。

また、証拠(<証拠略>)によれば、椿教授は、新潟県及び新潟市審査会では、患者を、(1) 水俣病である、(2)有機水銀の影響が認められる、(3) 有機水銀の影響を否定できない、(4) わからない、(5) 水俣病ではない、(6)再検査、のいずれかのランクに分類し、現実には(3)ランク以上の者が認定されていることを紹介した上で、この大石環境庁長官の発言に触れ、「大石環境庁長官は、五〇パーセント、六〇パーセント、七〇パーセントぐらい疑われる時には認定するというニュアンスの発言をしている。この数は、『水俣病がもっとも可能性がある場合に診断する』という自分の立場と同じになるので、医学的にも診断する根拠と一致するわけである。これはまた、しばしばいわれるように無定見に『広く救済する』ということではないことを示している。それならば、(3)ランクを、水俣病が五〇パーセント以上考えられる疾患に合わせておけば合理的である。」と述べていることが認められる。

更に、鹿児島審査会においても、概ね五〇パーセント以上の可能性で水俣病と判断できる場合に、認定相当の(3)「有機水銀の影響の可能性は否定できない。」のランクに該当する旨の答申をする運用になっていることは、先に説示したとおりである。

3  そこで、検討するに、水俣病に罹患しているどの程度の可能性がある者に対して、どのような救済措置を施すかということは立法政策の問題であるから、救済法、補償法がどの程度の水俣病罹患の可能性がある者を適用の対象としているかは、救済法、補償法の解釈によって定まることとなる。救済法及びその施行令、補償法及びその施行令は、その救済の対象とすべき疾病として「水俣病」とのみ規定しており、「水俣病」とはいかなる疾病であるかということについて何ら規定していないことからすれば、同法は医学的にみて水俣病と診断し得る者を救済の対象とするとともに、どのような者を水俣病と医学的に診断し得るかということは、その時々の医学的知見に委ねているものと解される。したがって、同法による救済、補償の対象とされるべき者は、医学的にみて水俣病に罹患していると判断される者でなければならないと解されるのであるが、他方、救済法、補償法は、因果関係の立証等の点で困難な問題が多い公害病について、健康被害者の迅速な救済を図ることを目的として制定されたものであるから、医学的にみて水俣病に罹患していると診断し得る限りは、これを広く救済すべきであるとの立場にたっているものと解されるのであって、このような法の趣旨に照らせば、認定申請者の健康障害が水俣病によるものであるか(他疾患と合併している場合を含む)の判断において、医学的知見に照らして、水俣病よりも他の原因(原因不明を含む。)によるものと考える方が合理性があるとはいえない症例、つまり、その限界としては、水俣病に罹患している可能性とそうでない可能性とが同程度であると判断されるような症例までは広く水俣病と認定するのが妥当であるといえる。しかし、同法がさらに医学的にみて水俣病の可能性よりもそうでない可能性の方が高いと判断されるような症例についてまでも、水俣病の可能性がわずかでもある限りはこれを水俣病と認定すべきであるとの立場にたっていると解することはできない。

以上のとおり、救済法、補償法の水俣病認定基準としては、水俣病の可能性がそうでない可能性と同程度のものまで網羅的にとらえることのできるものが妥当であると考えられるから、四六年事務次官通知、五二年判断条件自体の法的評価は、右のような救済法、補償法の立法趣旨からの要請を満たすものであるかという観点からなされるべきである。そうすると、前示のとおり、鹿児島審査会において、有機水銀の影響の可能性は否定できないと答申する場合を、水俣病の可能性が概ね五〇パーセント以上とされているのであるから、基本的に妥当であるといえる。

九  被控訴人が水俣病に罹患していない旨の審査会の答申の検討

1  審査会の答申

証拠(<証拠略>)によれば、本件処分は、概ね次の理由による審査会の答申に基づくものである。

即ち、被控訴人についての検診、審査の結果によれば、(1) 神経内科学的には、二度の検査を通じて左半身及び右上下肢末梢の不定型の感覚障害が認められるほか、下肢末梢部、上肢肩胛部に脱力、筋萎縮、各所の筋に筋電図で神経原性異常所見が認められるが、右感覚障害は、部位が短期間に移動し、分布にも左右差があり、水俣病における四肢末端型の感覚障害とは異なっており、協調運動障害も認められない。その他の右各症状は、肩胛腓腹筋型筋萎縮の症状と一致し、右萎縮は有機水銀中毒症の症状ではない。(2) 眼科学的には、三度の検診を通じ両側の視野狭窄が認められる。しかし、右視野狭窄は、二歳当時に罹患したポリオ脳炎(急性灰白髄炎)或いは昭和四一年に発生した意識障害発作に起因する可能性が大きい。(3) 耳鼻咽喉科学的には、二度の検査を通じ軽度の聴力障害が認められるが、これは内耳性難聴であって、水俣病における聴力障害とは異なっている。これらの医学的所見、魚喫食状況、居住歴、家族歴、職業歴等の疫学的調査結果を総合判断すれば、被控訴人が水俣病に罹患しているとは認められない。

2  そこで、審査会の右答申が前示水俣病の判断基準に照らし不合理な点がないかについて判断する。

(一) 被控訴人のメチル水銀曝露歴(疫学条件)について

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、昭和一一年一月一五日、大分県日田郡中津江村一の瀬の鯛生金山で出生後、父の事故死により、生後八か月で鹿児島県阿久根市琴平町で海産物の製造問屋及び網元をしていた祖父のもとに居住地を変更した。その後、被控訴人は、昭和一七年頃から昭和二六年頃までは、主に出水市に生活の本拠を置いた。被控訴人は、その後阿久根市に生活の本拠を移し、同市内に居住していたが、昭和三七年、福岡県三井郡所在の洋服店に職を得て転居して以来、福岡県内に居住して現在に至っている。この間、被控訴人は、昭和一八年頃まで、鹿児島県阿久根市の祖父母の許で養育された。その後、一時期、鹿児島県出水市武本の母方の実家で約二年間居住したが、昭和一八年頃から昭和二六年頃まで、出水市米の津で割烹旅館の経営を始めた母ミサヲの許で養育された。母の経営する割烹旅館は、出水市米の津の漁師釜鶴松から水俣湾産の魚介類を多量に仕入れ客に提供していたが、被控訴人は毎日のように魚料理を食べた。その後、被控訴人は、昭和二六年頃阿久根市の祖父母の許に戻って生活した。祖父は、昭和二四年頃以降、水俣市八幡に居住する金子某から密造酒を仕入れて販売を始めた。金子某は、密造酒の焼酎隠匿用に水俣湾で取れたイワシ、ハモ、タチウオ、グチ、クツゾコ等の魚を毎日のように持ち込んでおり、このようなことが昭和二八年に祖父が死亡する数日前まで続いていた。被控訴人ら祖父の家族はその魚を多食し続けた。また、出水市米の津の漁師釜鶴松は、昭和三五年一〇月に死亡するまで、米の津付近の海域でとれたボラ、キス、クサビ、ヤノイオ、タコ、ナマコの魚を手土産に持参してしばしば訪れ、被控訴人ら家族で釜の持参した漁獲物を食べ続けた。このようにして、被控訴人は、昭和三七年に福岡県に移住するまで水俣湾の魚介類を多食した。祖父は、昭和二八年三月、突然涎を流して激しい痙攣に襲われる等水俣病様の症状を呈して、八二歳で死亡した。祖母も、その頃から歩行困難になって、後に、発狂状態を呈しながら、昭和三〇年に八二歳で死亡した。被控訴人の縁辺には、阿久根市在住の御手洗常吉が水俣病認定患者である。釜鶴松は、昭和三四年の夏に水俣病の症状が急激に発現し、翌昭和三五年二月に死亡した。釜鶴松は水俣病の認定患者である。被控訴人の母は昭和二八年に子宮癌で死亡し、被控訴人の兄弟には、水俣病患者はいない。

右認定事実によれば、祖父母、母、兄弟も水俣病に罹患したとは確定されていないが、被控訴人が、メチル水銀曝露を受けた可能性がある(疫学条件はある)との前提にたって水俣病罹患の有無を判断するほかない。

右のとおり、主として被控訴人の供述によって、被控訴人のメチル水銀曝露の事実を認定した。これに反し、控訴人は、原審・当審を通じ、被控訴人の疫学条件の薄さを指摘している。確かに、被控訴人は、昭和二七年以降出水市を離れ、昭和三七年以降は福岡県に移住していること、家族の中に認定患者がいないこと、被控訴人は漁業従事者ではないこと等、控訴人の指摘にも、もっともな点も多々存するが、後示のとおり、被控訴人は昭和三二年頃から種々の水俣病様の症状を訴えていたのであり、被控訴人の供述のとおりであれば、被控訴人が水俣湾産の魚介類を多食した可能性は十分あり得るのであり、積極的にこれを否定する証拠もないので、被控訴人の供述を信用するほかない。椿教授が、新潟水俣病に関してではあるが、軽症水俣病の患者における水銀曝露の事実の認定に関し、患者や家族等周囲の人の供述を信用するほかないと述べていることは(<証拠略>)、本件においても、参考とされなければならない。

(二) 被控訴人の自覚症状

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、二歳の時の昭和一三年にポリオ(脊髄性小児マヒ)に罹患し、脊髄前角細胞を侵されて両足の膝から下が麻痺して歩けなくなり、また、昭和一八年の七歳当時、右腕首骨骨髄炎に罹患して右腕の肘が外側に九〇度以上伸びなくなったが、両手足の感覚に異常はなかった。被控訴人は、昭和三二年の二一歳頃から両手の指先に手袋をしたように感覚が鈍り、手が震えるようになって、趣味のギターの弦をしっかり押さえることができなくなり、昭和三五年の二四歳頃には、頭痛、頭重、涎、舌のもつれ、左半身や右手のしびれ、だるさ等が出現し、臭いも分かり難くなり、口が思うように動かなくなった。昭和三七年六月頃には、左手に力が入らなくなり、右手が痛み始め、しびれているため物が握れなくなったので、その頃していた洋服仕立見習を辞めて同年八月久留米国立病院整形外科に入院して右尺骨神経不全麻痺の診断を受けて右肘部の手術を受け、手術後右手や腕の痛みは取れたが、しびれ感は取れなかった。昭和三八年一月には、右病院で二回にわたり両足の尖足矯正のためにアキレス腱の移植手術を受け、手術後足に装具を装着して松葉杖を使い歩けるようになったが、やがて、続いていた左半身のしびれや左上肢の脱力のために松葉杖による歩行もできなくなった。昭和三九年の二八歳頃には、眼が光に弱く白いように見え、物忘れ、食物が嚥み下し難い、吐気等の症状も加わり、昭和三九年には原動機付車椅子の運転免許を取得して道を走っている際、知人とすれちがっても気付かず、妻から文句をいわれたりした。昭和四一年には商売に失敗して借金の返済に追われてノイローゼ状態になり、久留米の堀川精神病院に約二か月入院したが、さしたる治療もなく退院した。被控訴人の現在の自覚症状は、左半身全体がしびれる、右半身は左ほどではないが知覚が鈍い、特に手足の先がしびれている、口周囲がしびれている、唇は熱い物に鈍感であり、舌がしびれている、味がよく分からない、臭いも良く分からない、常時頭重感に悩まされている、物忘れがひどい、耳が聞こえ難い等である。

(三) 審査会資料による水俣病罹患の有無の検討

そこで、審査会資料に、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和四八年一月二六日及び翌二七日開催の第一四回審査会に提出された審査会資料(<証拠略>)による検討

<1> 神経内科(同月一九日)(井形昭弘医師)(以下「井形検診」という。)

井形検診によると、左半身及び右上肢の感覚障害を認めている。運動系では、上肢に筋萎縮を認め、近位筋及び右側に優位であった。下肢には著明な萎縮と脱力が認められたが、遠位筋に優位であった。握力は右二〇kg、左一八kgであった。また、上肢の挙上は困難であり、右肘関節、右膝関節の伸展制限があった。ジアドコキネーシス及び指鼻試験の結果は正常である。下肢の障害のため、膝踵試験、起立・歩行検査はいずれも不能である。神経内科的所見としてはScapulo peroneal Syndorome(肩胛帯・腓骨筋型症候群)、深部反射低下、線維性攣縮、頚部以下左半身知覚鈍麻とされ、考えられる疾患として筋萎縮症特殊型、頚髄障害(先天性素因による)とされた。

<2> 精神科

特に異常所見を認めていない。

<3> 耳鼻咽喉科(同月一八日)

純音オージオグラムから感音性難聴を認め、また、リクルートメント検査は陽性、聴覚疲労現象を認めていない。

<4> 眼科(同月二〇日)

視力は左右とも一・〇であり、視野は、フェルスター視野計の白色(一番明るい視標)の視標による検査では、左眼は鼻側一五度、耳側二〇度であり、右眼は鼻側二〇度、耳側二〇度であった(<証拠略>)。また、ゴールドマン視野計のV/4の視標による検査では、左眼は鼻側一二度、耳側四二度であり、右眼は鼻側一二度、耳側一〇度であった。また、I/2の視標による検査では、左眼は鼻側七度、耳側八度であり、右眼は鼻側五度、耳側五度である。(<証拠略>)。

高度の視野狭窄と視野沈下が認められた(なお、この視野検査は、水平方向についてだけ行われている。)。また、〇・四ヘルツ以上の周波数による眼球の滑動性追従運動検査において、階段状波形が認められ、陽性徴候ありとされた。

<5> 審査会は、以上の所見を総合して、感覚障害が一応認められるところ、視野検査は簡略に水平方向の検診しかされていないので、更に眼科の再検診が必要であるとして、答申を保留した。

(2) 昭和四八年三月二九日及び翌三〇日開催の第一五回審査会の審査に提出された審査会資料(<証拠略>)による検討

眼科(同月一六日、一九日)

視野検査の結果は、ゴールドマン視野計のV/4の視標による検査では、左眼は鼻側四五度、耳側五八度であり、右眼は鼻側四五度、耳側四八度であり、視野の狭窄と沈下が認められた(<証拠略>)。網膜辺縁に軽度の変性は認められるが、網膜電位図は正常であり、視野の障害が網膜レベルのものとは考えられないとされている。また、追従性眼球運動検査において階段状波形が認められた。

審査会は、水俣病に特徴的な眼科の所見がこのように明瞭に現われるのであれば、感覚障害等他の所見も、もっと明白に現われるはずであるとして、鑑別診断のためにも、血管障害(血管異常)のsignもみたい。」として、更に熊大医学部で内科、耳鼻科、眼科の精査の必要があるとして、再度答申を保留した。

(3) 昭和四八年八月二四日及び翌二五日開催の第一七回審査会に提出された審査会資料(<証拠略>)による検討

<1> 神経内科(同年五月二二日から七月一〇日)

同年五月二三日及び二五日に行われた検査では、右上下肢末端部の痛覚の鈍麻、額より下の顔面及び頚部以下の左半身の触・痛覚の鈍麻が認められた(右上下肢の触覚の鈍麻は認められていない。)。

七月四日の検査では、左額部を除く顔面部、頚部以下の左半身及び右上下肢の触・痛覚の鈍麻が認められた。また、下肢遠位部及び上肢近位部の筋萎縮と脱力が認められた。振戦及び上肢の協調運動に異常は認められず、膝踵試験、起立、歩行検査はいずれも不能であった。

<2> 眼科(同年六月一九日)

視野は左眼が鼻側四五度、耳側五八度であり、右眼は鼻側四五度、耳側五〇度であり、滑動性追従運動検査では〇・四ヘルツから衝動波が出、臨界周波数は〇・五ヘルツであったが、衝動性運動についてはほぼ正常であった。また、網膜辺縁に軽度の変性があったが、網膜電位図は正常であった。眼科の判定として視野の狭窄及び沈下は網膜の変化を上回っているとされ、眼の神経症状の原因の判定は困難であり、水銀の影響を否定できないとされた。

<3> 耳鼻科(同年五月三〇日)

純音オージオグラムから感音性難聴が認められ、また、sisiテストでは、リクルートメント現象は陽性であり、最高語音明瞭度の検査では異常は認められなかった。

(四) 右審査会資料にあらわれた被控訴人に関する検診、審査の結果によれば、被控訴人には、神経内科学的に、筋萎縮による左半身の感覚障害と四肢末梢の感覚障害が重なって存在すると認められ、眼科学的には、求心性視野狭窄が認められ、網膜辺縁の軽度の変性も網膜電位図は正常であり、視野の狭窄及び沈下は網膜の変化を上回っていて、水銀の影響を否定できないとされていること、上肢の運動失調は否定されているが、下肢の運動失調は検診不能であって、ないとは断定できないこと等の事実が明らかであったと認められる。

これに反し、本件答申においては、四肢の感覚障害は、部位が短期間に移動し、分布にも左右差があり、水俣病における四肢末端型の感覚障害とは異なっており、協調運動障害も認められず、それら症状は、肩胛腓腹筋型萎縮の症状に一致し、有機水銀中毒症の症状ではない、右視野狭窄は、二歳当時に罹患したポリオ脳炎(急性灰白髄炎)或いは昭和四一年に発生した意識障害発作に起因する心因性の可能性が大きい、したがって、有機水銀の影響を否定できるとしている。

そこで、先ず、視野狭窄について検討するに、証拠(<証拠略>)によれば、視野狭窄はメチル水銀中毒の諸症状の中でも特徴的症状であること、メチル水銀中毒の他の症状は極めてありふれた神経症状であること、視野狭窄はいろいろな原因により出現するが、心因性狭窄を除き極めてまれであること、その心因性狭窄自体も、管状視野、螺旋状視野の存在によって明らかになること、また、心因性による場合には、視野狭窄にとどまらず、ほかにも精神不安定等の精神症状が重なっているはずであるから区別できること、したがって、心因性によらない視野狭窄があれば、水俣病を疑う大きな根拠になること等の事実が認められる。そうすると、被控訴人の視野狭窄は、審査会資料により再三にわたり確認されているばかりでなく、管状視野、螺旋状視野の存在を証明する資料もないこと、また、精神科的に特に異常所見も認められていないこと等の事実に照らすと、神経疾患によるものとみるのが相当であり、心因性視野狭窄とみるのは相当でない。

次に、感覚障害について検討するに、証拠(<証拠略>)によれば、確かに、論理的には、神経疾患に起因する感覚障害が動くというのは、おかしいということになるが、それは症度の高い水俣病の方から水俣病患者を診る論理であって、病理学的に症度の軽い水俣病にあっては、臨床的には感覚障害がでない場合もあるし、それ自体非常に動き易く、或いは見落としやすい症状であること、被控訴人の感覚障害は非定型的ではあるが、これを大きく観察すると、左半身に強くて四肢末端にあるというという点では一致していること、被控訴人の感覚障害が不規則、非対称的、非定型的なのは、筋萎縮による左半身の感覚障害と四肢末梢の感覚障害が重なって存在するためにそのようにみえるとみることもでき、また、汚染環境を離脱した後に症状が増悪しているのは不自然であるとの指摘もないではないが、筋萎縮による左半身の感覚障害が加齢とともに悪化しているとみて不自然ではない。

(五) 以上の認定判断を総合すれば、被控訴人は、水俣病に特徴的なその余の症状の有無について検討するまでもなく、審査会資料に基づき、概ね五〇パーセント以上の可能性をもって、水俣病に罹患していると判断できたのであって、(3)「有機水銀の影響は否定できない。」のランクに該当するとみるべきである。これと異なる本件答申は、被控訴人が純粋医学的に水俣病であるかの心証形成に急な余り、救済法の趣旨を離れ、審査会資料の評価を誤っているというほかない。

一〇  本件処分の違法性

そうすると、本件処分は、誤った答申に基づいてされたものであり、違法であって、取消を免れない。

一一  結論

よって、原判決は結局相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり、判決する。

(裁判官 田中貞和 宮良允通 西謙二)

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